プロフェッショナルとしての仲間へ

昔、戦国時代にやってきたイエズス会の宣教師たちの話。
最初、お殿様にこの地で布教することを許してもらうために会うことになり、いつもの粗末な服装(正装)で行った。ところが、お殿様はいい顔をしない。布教活動も許してはくれなかった。日本では、身なりや服装がきちんとしていないと軽蔑されるということを彼らは認識できなかったからだ。そこには自分たちが優越した文化を持っているという自負心-ヨーロッパでは清貧な服装ゆえに精神の崇高さが認められているということをそのまま当てはめようとしたからだ。
後には日本の文化を認め、高く評価して適応する人(フランシスコザビエルなど)も現れるが、概して上から目線であったようだ。

リシャが通訳となったことで、今までよりは監督の言葉に心がこもるようになると思う。考えてみると、オシムの時もそうだが、外人監督の言葉をいかに選手たちに伝えるか、どう日本語に表すか。その出来不出来によって、監督が神様になるか素人になるかが決まってしまうのだ。
ファンボが監督の時、又は、浦和のエンゲルスもそうだったが、日本語が堪能であるがゆえに、選手たちが真面目に聞こうとしない。たどたどしい日本語を使って(もちろん、その努力は賞賛すべきことなのだが)、親切に説明されても、ありがたみがない。
外タレ同然の扱いになってしまうのだ。日本語の上手い外人さんになってしまう。

さて、リシャの場合はどうだろうか、リシャならシャムスカ監督の意図はわかるだろうし、言葉に魂をこめて選手たちに伝えてくれると思う。ただし、その言葉はリシャなのかシャムスカなのか?
通訳は所詮影のような存在。イタコではないのだ。逆にイタコであって上手くいく場合もある。矢野氏の場合、そうした面もあったと思う。影ではあったが、イタコになっていた面もある。その場の勢いや雰囲気に応じて少しアレンジして選手たちに伝える。矢野氏の個性もあって、うまくチームがまとまっていた。
もし、シーズンが終わってがんばったと言えるだけの結果が残ったとしたら、それはリシャのおかげだと思う。その時は彼を讃えたいと思う。救世者として。
すでに彼のおかげでチームの雰囲気が変わったはずだ。良い化学反応を起こしてくれれば・・・うまくいけば、今回の最大の補強になるかもしれない。去年以上に監督と選手たちがプロフェッショナルとしての仲間意識が築けたら、チームは成長するだろう。
磐田戦に注目したい。
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by worsyu | 2009-07-10 12:19 | サッカー | Comments(0)
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