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ひまなもんで

アール・ヌーヴォーというのが20世紀初頭にあって、その後アール・デコへと続くが、すぐにモダニズムにとって替わられる。曲線か直線か?
私は曲線の方が好きだ。このアール・ヌーボーというスタイルには、日本の浮世絵などの文化=ジャポニズムが関係している。もちろん、その前の印象派の台頭の頃から影響を与え続けていた(文化的触発)わけだが。ヨーロッパにとって日本文化は切り離すことができない。日本のアニメがヨーロッパで芸術として高く評価されるのは、過去に日本がヨーロッパ文化に与えた影響の深さによるところが大きいのだ。
芸術と工芸の中間にあるような不安定な様子がなんだか好きだ。POPさとアートが混在しているような。やわらかさと鋭さの両方が見えて好きなのだ。

個人的にとても好きな画があって、その画が誰の画なのかがわからない。2005年のアムステルダムでゴッホ館で開催されたアールヌーボー展。その時のポスターがとってもいいのだ。原画はおそらく葛飾北斎なのではなかろうか、と。それとも、デザイナーが作ったのだろうか?滝を登る見事な鯉の姿をベースにPOPに作り上げている。いつの日か、このテーマで作品を作りたいものだ。

さて、盆休みは何事も無く過ぎてしまったのだが、唯一心に小波が立つ出来事があった。この波はなかなか収まらなかった。20年ぶりにほのかに恋しく思っていた女性に会ったのだ。彼女は、それほど年月を経たことを感じさせなかった。おそらく、そんなに幸せそうには見えなかったが、それでも妙に美しかった。
その時、傍らには細君がいたのだが、お互いに知り合いということもあり、あまり話せなかった。まあ、このあたりは複雑な関係なので。
私の奥さんは、元ミス(田舎)○○なんちゃって、なので、結構きれいな人なのだ。(あんまり言うとバレそうなので・・・)今まで、この人をはるかに上回る美人というものに会ったということはない。おかげで、今まで何回か浮気のチャンスが訪れたが、そこまでする勇気も価値も見出すことはできなかった。ところが、この日、その人の笑顔を目にしたとたん、白雪姫のお父さんの目からガラスの破片が外れたように、元ミスがただのおばさんに見え始めたのだ。
これは、「隣の芝生は青い」ということなのだろうが、その時、私の歴史が動いた感すらした。
最近はようやく、心も落ち着き、今は、奥さんのきれいな顔を愛しむ気持ちに戻れた。
20年ぶりの彼女こそが魔性の女だった。彼女は男をだめにする。なぜなら、全てを受け入れようとするし、努力する。心が優しすぎるから。つくす女なのだ・・・
対してわが奥さんはその逆だ。でも、努力している。私みたいな男のために、がんばっている。それは、彼女をずっと小さい時から見ているからわかるのだ。他人からみて50点でも私の中では90点の人なのだ。
美人なのだが、飾り気がないというか、回りから、「かわいい、きれいだ」と言われ続けてきた育ったせいか、そう見られる自分がきらいみたいなところがあって、おしゃれにあまり関心を寄せない。(コーディネートするのは私。普段は安物のTシャツを着ている。)
だから、私は、彼女が驚くほどきれいに見える時も誉めることはしなかった。最近になってようやく誉めるようになってきたが。

私はやっぱり幸せ者だ。

トリニータ?とにかく、FWだね。後は、バランス。試合の流れを読む冷静さ。勝負にかける気持ちの強さ。
サッカーは監督でやるもんじゃない。選手が共通の意識で動かないと連携なんて取れないよ。確実に球を運ぶところ、勝負するところ、走りこむところ、がまんしてバランスをとるところ。そろそろ思い出して欲しい。今一度でも何度でも選手たちは集まって意思の確認をして欲しい。それでだめなら力不足なんだろう。それでも勝負は勝つ場合もある。自信を持って相手の弱いところをつけばいつか点は転がり込んでくる。あせったら元も子もない。しかし、今は、とにかく、もがけ、苦しいんならとにかくじたばたしろ。そこから何かを掴め。掴んだら離すな。溺れるな!這い上がれ!もっと泥臭く!きれいなサッカーなんて糞食らえだ!!
魔法に掛けられていたとしたら、もう、そろそろ取れてもいい頃ではないだろうか?そのきっかけは、逆説の考え方で見える場合もある。
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by worsyu | 2009-08-22 13:48 | ひまネタ | Comments(0)
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