前へ出た勇気

のりPこと酒井法子被告が保釈されて、会見を行っていた。
女優としての演技には取り立てて見るべきものはなかったが、こういう時に踏ん張れる力というのは、金賢姫と同等のオーラ(すごみ)を感じる。
大逆転ホームランをバックスクリーンに打ち返した、ような、大芝居をやってのけた。
彼女の涙に共感し、もらい泣きした人も多いと思う。しかし・・田代まさしの自分のだらしなさをあからさまに見せて、見苦しいながらも人間の業の悲しさとおかしみを表したものとは全く違ったものだ。田代は芸能界に戻ることは難しいだろうが、人間的な弱さを表現することによって、正当な一般人になろうとしている。彼女の場合はその逆だ。
計算づくした上での演出と演技。明らかに芸能界復帰のための宣言だったように見えた。
芸能界での本音と建前が、マスゴミの中での本音と建前に混同されて見えるのは、日本のジャーナリズムの退化を表しているようだ。
美しいものが善で醜いものが悪という感覚-勧善懲悪は程度が低い。しかし、芸能界-TVメディアの中で生きていくためには、美と腰の低さは必要条件なのだ。たとえ、それが一過性のポーズに過ぎないとしても、民衆から同情を得ることで、情状酌量の余地を得ることが出来る。
真実がどうのこうのということはどうでもいいのだ。印象なのだ。

トリニータのサポーターによる弾幕問題も、善悪の判断は、この際、どうでもいいのだ。
「トリサポは一歩踏み出した」と言った意味は、傍観者じゃない、サポーターとして言うべきことは言うということを示したということなのだ。それが正しいとか、間違っているとか、そんなことはどうでもいいのだ。
文言は決して高尚なものではない。拙い。だから良いのだ。今回の弾幕に必要だったのは、感情の吐露だったわけで、理屈やら格好をつけていたら、返って崩壊を招いていただろう。

バカを貫いたトリサポたちはやはりすごいということだ。

私は、彼らと同じ意見というわけではないが、彼らの行為は決して無駄ではなかったと思う。
彼らを誇りに思う。

笑う人は笑っていればいい。しかし、非難するべきではない。
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by worsyu | 2009-09-18 17:54 | 地域ネタ | Comments(0)
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