「ほっ」と。キャンペーン

西岡 VS MVP

ロッテの応援団のMVPなるコア集団が、成績不振で低迷する原因として、フロントを批判した弾幕を張り、果てはその槍玉として西岡選手までも批判した弾幕やブーイングをした。
首都圏という位置で起きたことであり、マスゴミのお膝元であるので一般の方の関心も高いようだ。
千葉ロッテの応援は、サッカーJ1の応援スタイルを積極的に取り入れたもので、以前からフーリガンへ転化する危険性を指摘されていた。

さて、今回のロッテMVPの行為は大分のコアサポの行為に触発されたように見える。そういう意味では、大分はコアサポの歴史に先鞭をつけたとも言える。私は、横断幕を張ったトリサポの行為について、同意はできないが、批判するべきではないと言った。そして、彼らを誇りに思うとも言った。
今回の千葉ロッテの騒動では多くの人が批判している。大衆娯楽である以上、大衆の同意が得られなければ批判を受けるということだ。何よりも、MVPが愚かだったのは、火の無いところにも煙を立てたことが間違い。それでは放火魔と間違われる。どこかのサポと同じに見られてしまうよ。

トリサポの賢かった点は、バカに徹することで極力政治的な色彩を薄めたという点にある。笑いの要素を含めることでガチ意見ではなく、何となく感じるところ、という余地を残した。逃げの部分を設けることで却って感覚に訴えることができた。
また、大分は地方都市であるため、ストレス発散の部分よりも、娯楽性を求める性向が強い。そのため、老人、婦女子が多く参加している。あまり過激な行為は受け入れられない。祭りは好きなのだが・・・
批判、擁護の両方の意見が出たことは、価値の多様性を認めつつも変化を期待する県民の思いという背景も感じられる。そして、何よりも、想いを代弁してくれたという気持ちも反面はある。火がついているのに煙を発てないようにごまかすことは不自然だからだ。感情の発露以上でも以下でもない。でも、それは、やる価値のあった行為だと私は思う。

こうした応援集団の性向は、やはり新興宗教に似た部分がある。カルト教団になるかならないか、暴力性を持つか持たないかの境目は結局はリーダーの個人的な性向に依拠するようだ。(オーム真理教がいい例)そういう意味で、トリサポは健全性を保っていると思うよ。

西岡の意見する姿は立派である。見ていて感動し、涙が出そうになる。でも、何かが違う。これはサッカーならば、そうはならないだろう、ということだ。つまり、そこで子供を出すのはずるいということだ。
子供さえ出せば何でも通るというエゴは醜い。日本では子供のけなげさを無条件に美化する文化があるが、それは間違っている。焦点がずれてしまう。

MVPの意見は意見として抹殺してはいけない。彼らが突然変異のように現れて突然あの弾幕を出したわけではないのだ。
それ(MVP抹殺)をやったら、ロッテの応援文化は消えてしまうだろう。というか、今までのムーブメントは何だったのか。マスゴミにつぶされてしまうだろう。ロッテファンには大分のように大人の冷静さを取り戻して欲しい。
相手にしすぎて、潔癖性だとか、正当性だとかにこだわりすぎると、つまらないものになるよ。あいつらは子供といっしょなんだから。
地方のおおらかさが時には優れていることもあるんだよ。
[PR]
by worsyu | 2009-10-02 16:28 | ひまネタ | Comments(0)
<< マスゴミに負けるな 石田の優しさ >>