いつの日か

FCバルセロナってすごいよね。クラシコを見たが、これはもう別次元のサッカー。ベースボールと野球が違うように、サッカーも日本に入ってくると別のスポーツになってしまうんだねえ。ただし、これは否定的に言っているのではない。野球が本場のベースボールをある面では越えたという意味では、サッカーもまた、日本で独自の発展をしていくことはいいことだと思うよ。無理矢理当てはめようとしても、それは却って陳腐なものになる。日本にも長い歴史があるのだ。
しかし、あのカンプ・ノウの何とも言えない盛り上がり方。それは、バルセロナがカタルーニャ自治州の首都という政治的なポジションからもあるのだろう。彼らがたどった歴史、そして民族、宗教のよりどころとしてのサッカー、スタジアムがある。彼らにとって、サッカー、とりわけバルセロナは命の源とも呼べるものなのかもしれない。(スペインも今や国家財政はかなり危うい・・・ヨーロッパがアメリカのスケープゴートとして使われている面もあるが・・・)

去年、大分帝国という弾幕を嫌い、成績不振の原因と面白がって槍玉に挙げた人々がいた。私は、以前も書いたが、中央にへえこら頭を下げて揉み手をして擦り寄り、ご機嫌伺いをするような奴は嫌いだ。少なくとも、中央寄りのポジションから発せられるマスゴミに同調したような意見は大嫌いだ。だから、大分帝国というネーミングは結構面白いと思った。(彼らの意図はどこにあるのかは知らんが・・・)
闘いには大儀が必要だ。何のために闘うのか。なぜ闘うのか。単に祭りをするだけだとしても、祭りにもそれをするだけの意義がそもそもあったはず。
大分は小藩分立の政治風土があった。未だに日田、中津宇佐、玖珠九重、湯布院、竹田大野、佐伯、国東杵築、別府、等々、単純に大分といっしょにされては困るという面を持っている。これはそれぞれに独自の文化を育んできたといういい面もあるのだが、反面、足の引っ張り合いで一つになかなかまとまらないという面も持っている。
トリニータは大分を一つにした唯一のソフトなのだ。みんなが参加して文化として広がっていき、いろんなサブカルチャーも出来ていけばいいんじゃないかな。
阿部真央にしても、彼女というパーソナリティーが生まれた背景にトリニータの存在が多少なりともあったことに間違いない。私は、彼女にはスーパーフライやYUIとは違うものを感じる。それは大塚博堂を重ねてみているからかもしれない。彼は、生きていたらもちろん日本を代表する歌手になっていただろうし。でも、今でも、その歌声だけで生き続けている。吟遊詩人と呼ばれた男は夭折した。
いよいよリーグが開幕する。闘う意義をかみしめて楽しくやっていきたい。県民と共に。手を繋いで。
変化の歩みを止めてはいけない。変化し続けることで進化できるのだから。
オンリーワンヘ道は見えているか!
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by worsyu | 2010-03-06 02:14 | 地域ネタ | Comments(0)
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