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Justice

NHKでハーバード大学の公開講座をやっていた。哲学的思考というやつ。思索の森への入り口だ。ご覧になった方もいるだろうが・・・

設問1)ここにブレーキが利かなくなった電車がある。その運転手はあなた。前方に5人の人間が見える。このまま行くと5人死んでしまう。しかし、ハンドルは使える。別の路線に1人いる。そちらにハンドルを切れば1人が死ぬだけですむ。あなたは、どうしますか?
(この場合、おかしい設問ではある。大体、電車にハンドルはないわけで、この設問はおかしいわけだが、それはこの際目をつむる)
ハーバード大では、学生たちは、9対1で5人を助けるためにハンドルを切ると答えた。ハンドルを切らない方に手を上げた学生の中にアジア人がいた。彼は「人間を差別することに繋がる」という意見で賛成できない、と答えた。学生の多くは、9.11事件で自分たちを犠牲にして大惨事を未然に防いだ例を出して、正当性を唱えた。これは最大多数の最大幸福が善であるというベンサムの考えに依拠している。結果から求められる正義だ。

設問2)これは実際に起きた事件から。ミニョネット号事件というのが19世紀に起きた。イギリスからオーストラリアに向けた船が難破し、救命ボートで4人が脱出できた。しかし食料が底をつき、くじ引きで仲間のために身を捧げることを決めようとしたがまとまらなかった。そのうち、年少者で家族もいなかった青年が海水を飲み衰弱したので、殺害して食料に当てたという事件だ。正当性がある行為なのかどうか?

政治哲学のマイケル・サンデル教授の授業「Justice(正義)」より。

これは政治的な命題である。正義はどこにあるのか。これを正義と呼んでいいものなのか?しかし、日々生きていくためには、どちらかを選択しなければならない。
絶対の善などというものはあるのだろうか。我々が選べるのは相対的なものでしかない。

例えば、設問2)の「ミニョネット号事件」で考えると、弱りきった青年を殺して何とか生還できた残りの3人は、とても英雄的行為とは言えない。しかし、生きるためには仕方がなかったのか?同意を得ていない。それでは同意を得ていれば許されるのか?これは殺人以外の何物でもないではないか?他に道はなかったのか?

私は、講義を聴きながら、沖縄普天間基地移設のことを考えていた。

これは政治哲学の授業なのだ。個人の観念的お遊びではない。
皆さんはどう思いますか?
政治とは、そういうものだ、ということを知るべきですね。
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by worsyu | 2010-04-26 15:40 | ひまネタ | Comments(0)
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