落語は志ん朝につきる

名古屋との練習試合に野口原に2千人が駆けつけたそうな。これは、名古屋だからというのもあるだろうし、大分の青いユニを着た戦士たちを見たいというのもあるだろう。
名古屋の選手たちにとっては、ある意味、驚きだろう。たかが練習試合に2千人集まるという不思議な現象。
お前ら仕事してんのか?って。
3-1のスコアで安心してもしょうがない。問題は90分間中、走る力をつけられるかどうかだからだ。全てはこれから。山形戦である程度の計算ができるかな・・・・・
(どうでもいいことだけど、田坂監督ってスーパーサイヤ人(、じゃなくて、ピッコロでしたね。)に見えてしょうがないんだけど・・・まあ、真面目な人なので、あまりいじるのも可愛そうだから。)

ところで、落語というものがわりと好きで、時々TVやラジオなどで楽しんでいる。最近のお気に入りの落語家は古今亭志ん朝である。ご存知の方はいわずと知れた人なのだが、知らない人はまるで知らないだろう。なにせ故人である。
彼は残念ながら2001年に肝臓がんで63歳の若さで逝ってしまう。
彼の語り口はきれいな江戸弁である。若い頃は役者を目指したというだけあって、情景が芝居仕立てのように艶やかに浮かび上がる。話のネタはそれほど面白いものでもない。しかし、彼が話し出すと、流れるように言葉が泳ぎ、江戸風情が漂ってくる。古典落語をこれほどまでに鮮やかに見せてくれる落語は、今後も出ないだろう。不世出の落語家だった。

落語は、お客との間の絶妙な笑いの掛け合いの中で面白みが生み出されるものだ。だから、最近、大ホールで1000人以上集めてやる独演会などでは本当の落語の面白味というものが出せない。むしろ、100人程度の小さな空間の中でこそ本当の落語が楽しめるものだ。

大分県と言えば、柳亭市馬がいる。小さんの最後の内弟子として柳屋一門に入り、今や江戸落語界を引っ張る実力者として君臨している。彼の魅力は声。坊さんのような低くて響く声量のある声だ。聞いていてとても心地いい。古典落語は確かに上手い。きれいだ。
ただ、上手すぎるのだ。

これは柳屋一門の流儀(小さん)なのだろうが、話をきちんとしていれば客は笑ってくれる。媚びる必要はない、というわけだ。
柳屋小三治がそうだ。飄々として、まるで客に媚びない、というか、艶も無ければ粋も無い。上手いのは認める。媚びないのも認める。しかし、それはそれで無言の媚がある。ウケを無言で求めている節があって、あまり小三治の落語は好きになれない。昔、師匠の小さんから「お前の落語はおもしろくない」と言われたことがトラウマになっているようだが、その意味がわかるような気がする。

古今亭志ん朝の父親は古今亭志ん生である。めいは池波志乃。しかしながら、彼は孤高の芸風を保ち、燦然と輝いた。誰も真似のできない落語家となった。
まあ、興味のある方は一度聞いてみてください。
私のオススメはやはり「井戸の茶碗」だろうか。今度CDを借りて聴いてみたい。探してみよう。
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by worsyu | 2011-02-16 14:46 | ひまネタ | Comments(0)
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