原発事故後の選挙

大人になるのは大変だなあ、という思いが最近している。と、これは、国の成長度の度合いのことなのだが。
サンデル教授の正義についての本が売れたのも、民主党が政権をとったのも、日本が大人の国家に向かう一里塚のようなもののように思えてくる。

以前、電車のブレーキが利かず、目の前の10人を殺してしまうか、路線を切り替えてそちらにいる3人を殺すことにするか、という究極の選択をしなければならないとしたら、あなたはどうするか?という命題を言った。
正しい答えというものはあるのかどうかわからないが、近代の民主主義国家では、10人を救うために3人に犠牲になってもらうという判断が正しいと考える。これが最大多数の最大幸福を目指すという国家の考え方なのだ。
たとえば、隣の線路にいた3人が金持ちだとか、エライ先生方だとか。または、目の前の10人が外国人だったとか、老人だったとかいう理由が付くとどうだろうか。
人の命の重さに違いはあるのだろうか?これをすれば差別になるだろう。
放射能に汚染されたものを海に流したことと空中にばら撒くこととどちらが正しかったのか。

世の中選挙である。盛り上がらない中でも、民主的な方法で権力者を選ばなければならない。どんなに彼らが頭を下げたにしても、当選すれば数千万円が保証されるわけだし、権力も握ることになる。
たとえば、大分に原発を作りたいと言われたら、作ってしまうような人を選んだらどうしようか、とか思ったりする。大分に原発が無いと言うことは本当に幸せなことだ。そのために生活レベルを落としても、仕方ないのではないか?とさえ最近は思う。
なぜなら、リスクを計算すると、一切の利益が吹っ飛んでしまうからだ。利益どころの話ではない。子々孫々に渡ってけなされることになる。

石原氏は「天罰だ」と言ったが、前後の話を聞くとそれほど間違ったことを言っているわけでもない。しかしながら、東京の電力を引き受けてくれている地域に対して言う言葉とは思えない。まるで福島県の利益のためだけに作られた施設のような感覚でいるらしい。

以前、そんなに安全だというのなら東京に原発を作ればいいという運動があったが、つまるところ、そういうことだ。

計画停電の実施にしても、なぜか足立区だけに行われる。これは差別以外の何物でもない。ピークダウンの方法はいろいろあるはずだ。東京以外でできるものは西日本に移してしまえばいいのだ。工場など、大量に電力を使うものは、復興工事を行うのではなく、西日本に移住、移設することで関東の人々の生活も安定するし、日本経済も復活する。そんな当たり前のことを誰も言わないのが不思議でならない。
今のままだと、10人が殺され3人が生き残ることになりそうだ。

今回の震災、原発事故により日本はもう以前の日本ではなくなったのだ。その変化に早く気付くべきだ。
[PR]
by worsyu | 2011-04-08 11:52 | 時事ネタ | Comments(0)
<< 日本人は自虐大好き 山崎ハコの世界 >>