白系ロシア人と聞くと白人(スラブ系)のロシア人のことと思っている人もいるかも知れないが、この場合の白とは、赤色軍、白色軍のことを指しているわけです。つまり、ロシア革命の時の革命側が赤軍で皇帝派の軍隊が白軍であったため、亡命した人たちを白系ロシア人と呼ぶのです。世界中に亡命したわけですが、日本にも一時的には7000人近くの人が入ってきたらしいです。1920年辺りに。その後、アメリカなどに移住していき、日本に住みついたのは少なかったようですが、それでも多くのロシア人、及び、その周辺国である、ウクライナ人、ポーランド人、ユダヤ人、その他の人々が日本に流れ込みました。多くは南樺太であり、北海道、そして東北地方です。
佐々木希なんかを見ると、どこかに入っている感じがしますね。何となくですが。勘違いかもしれませんが。 彼らが日本文化に与えた影響は少なくないですね。大正時代のあの耽美的な西洋文化の大衆化に拍車を掛けたのも彼ら白系ロシア人の力があったからでしょう。和服から洋服へ。和食から洋食へ。そこにうまく合致したんでしょう。 武谷(タケタニ)ピニロピという女性がいる。彼女のことを知ったのは、偶然、反原発(というわけでもないか・・)のサイトを覗いていた時だ。武谷三男(タケタニミツオ)という人がいる。この人は、日本に原子爆弾が落ちる10日前にそれを予言した人としても知られる。また、日本は戦争に負けると言い続けたために拘留された。その拘留所の中で、風船爆弾を着想し、偏西風に乗せる計算式を教えたとも言う。そして、日本の原子爆弾製造の研究グループの一人でもある(湯川博士も)。福岡県出身の物理学者。1911年-2000年。 「罪作りな科学 人類再生に今何が必要か」という本の中で原発に対する多くの示唆に富んだ話をしている。 「使用済み核燃料を再処理してプロトニウムを取り出す。それを燃料とした高速増殖炉では燃やした以上のプルトニウムが得られる。しかし、これは空想に過ぎない。無理なのです。」 原発はトイレの無いマンションだ、と言ったのが武谷氏だという。 「私は20年以上前から燃料棒はばらすな、と言ってきた。~原発を使い続けるならば、燃料棒も、放射能に汚染された部品類などの廃棄物も、下手にいじろうとしないで厳重に保管して積んでおくしかないのです。猛毒のプルトニウムを取り出して使おうなどと考えるのが間違いです。」 話を戻すと武谷ピニロピとはこの武谷三男氏の妻。1943年に結婚している。彼女の物語はまさに激動の物語。詳しくは武谷ピニロピサイバー記念館のHPを読んで欲しい。 いくつかの場面が浮かんでくる。 シベリア鉄道の列車の中で極東へ亡命中に生まれる場面。 上野駅で父親と再会する場面。 会津で日本語がわからないが一所懸命に授業を受ける姿。 友人の死を経験し、父親の反対を押し切り、医学の道へ進むことを決意。 武谷との出会い。 外国人の容姿ゆえの不当な扱い。 武谷の投獄。 出産。 空襲。 敗戦。 武谷診療所の開設。 この女性の一代記は面白い。戦争をはさんでドラマが展開される。価値観が180度変わるおかしさと残酷さ。 彼女が生まれる前のロシア革命から日本の敗戦、そして病院の開設までが面白い。
by worsyu
| 2011-05-12 12:52
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