九州人?+大分県人です

松本龍。格好いい名前だねえ。
格好の餌食にされている。以前、このブログでも指摘したように、現在、東北地方はクレーマーと化しているから、心の余裕が無い。政治家が足を運べば叩かれるだけだ、と言った。
(まあ、マスゴミと対抗する政治勢力との工作によるものだろうが、言いたいことがあったらその場で言うべきだと思うね。後からいろいろやるのはあまり誠実さを感じない。胡散臭い。後出しジャンケンは日本人の得意技だがね。)

この言葉を石原都知事が言っても何でもない、自嘲気味に快く笑うだけだろう。なぜなら、彼は東京という権威の象徴だからだ。
松本氏も中身は当たり前のことを言っているだけ。問題は「九州の人間」という言葉を使った時点で権威が無くなったわけだ。つまり、叩いても大丈夫となったわけだ。

東北はこの弱者のエゴを使ったこと、感情を爆発させたことにより、プライドをなくしたと言える。この禁じ手を使ったことで弱者であることを認めたことになる。弱者であり続けなければならなくなる。つまり、弱者であるから、堂々と請求できるのだ、と。これはつまり、被差別部落の論理なのだ。つまり権威主義(利権)におもねることを宣言したようなものなのだ。

もう一度、繰り返すが、もし石原都知事が言っていたらどうなるだろう。「俺は東京の人間だから東北の何市がどことか言われてもよくわからない。(笑)」「あれが欲しいこれが欲しいはだめだ。知恵を出せということだ。知恵を出したところは助ける。出さないやつは助けない。それぐらいの気持ちでなきゃだめだ。」等々。

みなさん、想像できるでしょう。和気合い合いと歓談している姿が。クレームなど付ける訳が無い。

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私は、以前から言っているように、大分は「いわゆる九州人」とは違うという意見の方だ。だから、彼が川筋気質というか、男尊女卑的な、やくざ的な物腰で人気を取っていることに違和感を覚える。「九州の男やけん」という何やら変なストイシズムが受け入れられない。(これを言うのも3度目だが、「府内戦紙」という変な祭りがあるが、これは女のハレの祭りであって、男はそれなりの引き立て役の存在でしかない。ここが博多の祭りとの明確な違いだろう。)

私は、はっきり言って大分が田舎だとは思っていない。たとえ、田園風景が広がっていたとしても、新幹線が通っていなくても、経済的に恵まれていなくても、外部の文化を受け入れる精神的な余裕があり、それを楽しむことができる。権威に拠らず、感情に流されず、理を尊ぶ日本の中でも稀有な人々が多いところだと思っている。違う人ももちろんいるけどね。


大分は言葉に訛りが無い。他の九州弁のようにイントネーションが崩壊していない。だから、普通なのだ。特殊な地域ではない。九州の中では特殊であっても、日本の中では特殊ではない。しかし、そのこと自体が特殊だとも言える。九州であって九州でない。それが不思議なところであり、魅力でもある。
大分の今の政治家を見ても、それほど変な人はいない。
重野、吉良、衛藤、岩屋、特捜最前線(横光)、礒崎、足立。どうだろう。変なやつ居る?

我々は九州人なのは確かなことではあるが、九州新幹線が通ったからといって九州が一つになったというキャッチフレーズは受け入れがたい。
しかし、九州人であることは確かなことだ。そこに誇りが持てるとしたら何だろうか。

われわれにとっては、それは、最後まで諦めない。粘り強く頑張る。真面目。という一般的に認められている九州出身者の気質に対してであろう。
しかし、敢えて、言うならば、これからは、当分の間、出身は九州ですという言葉の後に、「大分県人です!」と一言添えるべきだろう!!
そこには、進取の気質。自由主義。民主的。個人主義。女性尊重。という性向が付加されることになるからだ。それが嫌なら九州人のままでいろ。

「大分帝国」「九州の誇り」

良いではないですか。トリニータがある限り、この言葉は使える。やはり、大分トリニータは潰してはいけない!!
大分が大分であり続けるための誇りであって欲しいし、我々にとってのメッカのカーバ神殿とならんことを祈る。
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by worsyu | 2011-07-05 10:21 | 時事ネタ | Comments(0)
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