肝っ玉母さん

松田の母親にはびっくりした。
普通は愛する存在のものを喪失したら、そのことを受け入れることができず、パニックになる。そして呆然とする。否定する。事実を受け入れられない。その後、うつ状態になり、何もしたくなくなる。そして、時間の経過とともにやがて初めて事実を受け入れて一歩前に人生を踏み出す。
気丈な母親である。彼女の姿を見て、初めて松田という選手のことが少しわかった気がした。
彼のサービス精神、そして、ストレートな感情の吐露、時として衝突することすら厭わない行動。でも、情に厚い一本気なところ、それをてれかくしで軽くやってしまうところ等々。

サポやクラブ関係者のために足を運び、感謝の言葉、そして、「ごめんなさい」とまで言う。まさに群馬の強い女を見事に見せてくれた。
上州の女だなあ~と。

松田は上州の男だよ。
母親の姿、言動で多くの人たちが救われた気がする。さりげなく関係者の苦労を慰め、感謝し、そして、松田は幸せだったと締めくくってくれた。
松田のあの軽さが、これも人生さ、とでも言いそうな雰囲気がしてくる。
母親が気丈な姿を見せたことで、松田を深く愛した人たちは、彼の存在を忘れる術をなくした気もする。通常の流れで彼を忘れることが出来ず、却っていつまでも彼の笑顔が残ることになるだろう。
松本山雅は松田の威光で上がっていくかもしれない。一方、横浜は彼の影をいつまでも引きずることになるかもしれない。
なぜ、そんなことを言うかというと、多くの人が今回の事故に対して松本山雅の環境が彼にストレスになっていたのではないか、と思うだろう。つまり、犯人探し、不幸の原因探しを始めるのだ。でも、母親はそれを否定した。そんなことはしないでくれというメッセージだ。すると、どこにこの感情が移るかと言えば、それは横浜になるからだ。
その影を払拭するためには、奥さんや子供、その他多くの悲しむ人たちの姿を見ることで、自分たちも悲しむことが可能となる。マスコミはそうしたニーズに応えて悲しみの映像を追い続けるだろう。
そして、過去の人として受け入れることができる。

泣くという行為は、自分を引き下げてその現実を受け入れるという行為だから、できれば達成感がある。スッキリする。それができないといつまでも彼の死に対して何もしてやれなかった、自分の気持ちはそんなもんじゃないという思いがいつまでも続くことになるからだ。
いつしか悲しむことを忘れ、松田といっしょに考えるようになる。そして一部のファンは松田を切ったクラブに対し逆恨みを抱くようになるかもしれない。怒りが無意識のうちに増幅されるからだ。
横浜側としてはそれは避けたいからマスコミに働きかけて悲しみの場を公開するだろう。場合によっては背番号3が永久欠番になるかもしれない。それは悲しみというよりも畏れからなのだが・・・・そして、その意味は穢れからくる。
逆に松本は欠番にせず、栄光の背番号として残した方が供養にもなると思うのだが・・・
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by worsyu | 2011-08-06 10:07 | 芸能ネタ | Comments(0)
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