コクリコ坂?

「コクリコ坂から」は受けているのか?新聞の広告には大ヒット上映中となっている。
たしかに、打ち切りではないらしい。

私の個人的な思いから言うと、映画を撮る-作る人は限られた人たちなのだが、監督と言われる人は結構多い。でも、その監督たちも1回で終わる人たちが大半だ。多くて3回程度。そこで結果が出なければ2度と使われない。それは、映画というものがコストのかかるものであり、ビッグビジネスだからだ。その経費を回収してしかも利益を出すことは至難の業だ。だから、若手監督は使ってみたいものの、失敗は許されない。若手監督の多くは助監督として評価を得ながら、抜擢された作品で当てなければ次回はない。厳しい世界だ。
そんな中で宮崎吾郎監督(以下宮崎Jr)は、「ゲド戦記」において興行的にはまずまずの結果だったが、関係者の評価は低かった。ジブリというブランドに守られて、しかも、宮崎駿の息子という血筋という日本的な妄信にも拠り、過大に評価されている面がある。
鈴木プロデューサーは、作品が商業として成り立ち、ジブリという会社が発展していけばいいのだから、作品の内容よりもそれ以外もところで話題性を作り、宣伝し、客集めをする。

宮崎駿(以下宮崎)はやはり偉大だ。それと比べてはいけない。しかし、ジブリという名が付けば同様の価値を見出そうとする。しかし、それは無理なのだ。

まず、実写とアニメは違う。なぜアニメにしたのか?今やCGでアニメ並みに実写でも迫力のあるカメラワークや想像力を駆使した映像を作ることが可能となった。
アニメはやはり子供心をくすぐるものだ。大人であっても、そうした子供の部分を刺激してくれるものとして魅力のあるものだ。
宮崎の作り出すキャラクターは、表情が豊かだ。オーバーアクションでもある。喜怒哀楽をはっきりと出す。そこには、日本的なものには無い、無国籍映画とも言われる日本アニメ(漫画)の普遍的な魅力がある。
宮崎の世界観は緻密である。リアリティがある。計算しつくされた実存がある。それは、見せるための緻密さではない。誰もが宮崎のその世界に入ればあるであろういろんなものが見える。そのものが確かに映画の中でもあるのだ。

宮崎Jrの作品を見るのはこれが最後になるだろう。たしかに多少は上手くなったのだろうが、苦労して作ったのだろうが、作品としての評価は別だ。

宮崎の最後の長編アニメが出来上がるまでのつなぎとしてのジブリ作品に金を出して映画館まで足を運ぶほど私は暇ではないし、道楽者でもないし、愚者でもない。

おそらく、ジブリのアニメーターの苦労がにじみ出た映像を見ながら、「がんばったんだなあ」という感想しかないだろう。つまり学生のクラブ活動の延長でできたようなものとしての評価しかしないだろう。
鈴木は罪作りなことをしたものだ。Jrは器用だなあと思うよ。絵も上手いし。でも突出した才能は無い。その技術を他の分野で活かしたほうがいい。おそらく、経営サイド等の裏方に廻るか、別会社を作っていくことになるのだろうか?
まあ、黒澤の息子なんかよりは数段好感が持てる。これだけの作品を作れるんだからたいしたものだよ。
[PR]
by worsyu | 2011-09-02 12:08 | ひまネタ | Comments(0)
<< 中村くん ないない >>