弱者ではない

つまらないつぶやきです。今回はパスしていいですよ。かなり偏っていますから。

私の考え方は間違っているかもしれないが・・・
いつの頃だったか、たぶん学生時代だと思うが、貧すれば鈍するという言葉がすごく気に掛かった。
人間にとって、より人間的に生きるためには、金はあるほうが良いのか、金に囚われることで却って非人間的になってしまうのではないか、と。結論として、金を持っている方が余裕がある。文化的な生活ができる。他人に施しを与えられる。心の余裕ができる。だから、貧になってはいけないということではないか、と思った。
被害者と加害者はどうだろう。どちらが人間的な感覚を維持できるだろうか。
私は、被害者の方が心が傷つくことをもってみても、トラウマとなって、結果として人間的におかしくなるのでは、という気がするのだ。
加害者の方が人間的に優れているとは思わない。しかし、加害者の心を正常に戻すのと被害者の心を正常に戻すのでは時間と金の度合いが全く違う。被害者はそのことで人生が狂ってしまう場合もある。

被害者であることを受け入れてしまうと、そこで止まってしまう。前に進めなくなってしまう。だから、東北の人が黙々と壊れた家や流されてきた木などを片付けたり、復旧に向けて一生懸命にされている姿、時として笑顔でやっている姿は素晴らしいと思う。
被害には会ったが負け犬ではない。以前よりも立派で素敵な町ができることを信じている。たぶん、素敵な都市計画の下、機能的で居心地のいい町がこれから作られていくだろう。

韓国の人々-特にネチズンたちが日本を攻撃してくるのは、自分たちが被害者であるということを認めているからだ。利用していると言った方がいいかもしれない。彼らは子どもの頃から、かつて日本に侵略されて同化されていた時期があるという教育を叩き込まれる。その屈辱を晴らす為に何か行動しなくてはならないという傷を植え付けられるのだ。
私が、今回の一連の事件や韓国側の反応を見ていて思うのは、彼らにはあきらかに人間的な欠陥部分があり、それを埋める術を知らないということだ。

日本人は「菊と刀」によって恥の文化というレッテルを貼られてきたが、果たしてそうだろうか。戦後はむしろ恥を捨てることで自由になってきたとも言える。他人に迷惑を掛けないということがモラルとされ、西洋の罪の文化との対比として語られてきた日本人論はもう古い。通用しない。なぜなら、日本は昭和天皇が「耐えがたきを耐え、偲びがたきを偲び・・・」と玉音放送で語った時点から変わっているのだから。恥を受け入れることから始まっている社会なのだ。そしていつしかその恥すら感じなくなってしまった。
昔の日本の恥の文化はここに消滅した。今の日本の行動原理は何だろうか?
私は、これからマスコミとの戦いが待っていると思う。本当の自分を取り戻すためにこのマスコミと戦わなくてはならなくなる。なぜなら、彼らは日本を戦争へ突き動かした張本人だからだ。あの時、ラジオ放送で煽りまくったことが突き進む熱となったことは疑う余地がない。
だから、彼らを信用することはできない。

昔、鹿島で勝った時に鹿島サポから囲まれ威嚇された話をしたが、その時、在京サポの方から、「大分では逆に暖かく迎えてあげてください」と言われたことを思い出します。この寛容さは美しいと思うし、大切なことだと思うよ。
その時、強く納得したことを思い出します。

つまり、自分を低めてまでやることではない、ということ。それでは意味がない。
我々は弱者ではない。
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by worsyu | 2011-09-30 18:07 | 時事ネタ | Comments(0)
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