談志より志ん朝

立川談志が死んだ。長患いの末である。最終的には声帯まで取ったようだが、その甲斐もなく、多くの患者と同じように人間の業に包まれて、ボロボロになって死んでしまった。終末治療のあり方と身の処し方を考えずには居られない。
ところで、談志はあまり好きではない。というか、嫌いである。面白くないから。いろんな講釈を垂れるが押し付けがましい。話し手と聞き手が作り上げる落語である。彼の落語は面白くない。あれをありがたがって金出して聞いてる人がいるってんだからよくわからない。あの人たちは談志を見に来ているんであって、話を聞きに来ているんじゃない。

旦那も番頭も手代も丁稚も、はたまた女も坊主も小僧もご隠居も聞いていて区別が付かない。声があのしゃがれ声だから聞き辛い。楽しむことはできない。大体、品がない。軽妙洒脱などと言う人もいるが、神経を疑う。江戸の風情も何もあったもんじゃない。

まあ、石原都知事は、なぜか彼には頭が上がらないらしい。おそらく、談志のような怖いもの知らずで権力側を茶化して庶民の側に立っている風体をしている輩に対しては、笑うことしかできないのだろう。それに石原の父親は愛媛人で母親は広島人。本人は湘南育ちだから。本物の江戸人に対してはコンプレクスでもあるのだろう。似非だから。ぶっているだけだから。同様の現象は北野タケシに対しても見られる。
所詮はお上りさんだから。リアル東京に対しては弱いのか・・・

私は、前にも言ったが、古今亭志ん朝を聞くことをお奨めする。誰も真似できない、艶と品がある。話しに引き込まれてしまう。心地よい江戸言葉が聴ける。

この際、談志の落語でも聞いてみようかなと思った人は、ぜひ、口直しに志ん朝を聴かれることをお奨めしたい。
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by worsyu | 2011-11-24 13:29 | 芸能ネタ | Comments(0)
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