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久留島武彦と玖珠町

時々、玖珠町を通る時に思うのだが・・・なぜ、あんなにがらくたのような人形の張りぼてばかり立ち並んでいるのか?と思う人も多いだろうなあ・・・と。

おそらく、「童話の里」ということでまちづくりをかつてしたのだろう。今もその流れは続いているのかもしれない。
しかし、まあ、あの仮面ライダーだとか、ちびまるこちゃんとか、まるで中国のパクリ人形のように立ち並んでいる様は、はっきりいって悪趣味である。おしゃれじゃない。子供もだまされないくらい情けないモニュメントと化している。
玖珠町といえば、日本のアンデルセンと呼ばれた久留島武彦(くるしまたけひこ)の出身地である。だから、なのだろうが、ちょっとねえ。

そもそもなぜ、久留島が日本のアンデルセンと呼ばれたのかを考えてみると良い。
1924年。戦前の話である。当時50歳の久留島はすでに童話の口演活動をしたりボーイスカウト運動の草分けの代表となっていた。デンマークを訪れた際、あのアンデルセンの生家があまりにも物置小屋同然に扱われていたり、アンデルセンの墓が荒れ放題であったことに驚いた。そこで、デンマークの行く先々でアンデルセンの復権を訴えた。
当時のデンマークの人々は驚いただろう。東洋から来たメガネを掛けた猿のような男が、文化的な言葉を発し、しかも、もう忘れ去られていたアンデルセンのことを熱く語るのだ。
「たかが、童話作家にそこまで熱心に語るこの男は何者なのだ?」
「しかし、確かに私たちはアンデルセンのことは忘れていたと言われてもしょうがない。彼の作り出した童話は遠く東洋の見知らぬ国にまでその名声が及んでいるらしい。もっと大切にしなければならない」と思ったことだろう。

その後、アンデルセンは、世界中の子供たちに知られることとなり、彼の作品は改めて日の目を見ることとなった。デンマークと言えば人形姫のアンデルセンである。日本では当たり前のこと。今や世界中でも常識になった。
それをそうさせたのは誰あろう久留島武彦なのだ。
彼が居なかったら、もしかしたら、DVDで人魚姫を見ることは無かったかもしれない。アンデルセンの童話は創作童話である。日本以外では意外にも広まっていない。森鴎外が訳したから日本では他にもみにくいアヒルの子やマッチ売りの少女などでなじみがある。
創作童話が日本で広まり、現在のアニメ文化につながったことを見ても、久留島の存在は大きい。

話を戻すと、玖珠町はなぜ、この「アンデルセン」に縁(ゆかり)があることを強調しないのだろうか?なぜ、アンデルセンに関連したものを出してくれないのだろうか?
「日本のアンデルセン」と呼ばれデンマークから深く感謝されている久留島。
私たちは玖珠町でその欠片を見つけたいと思う。アンデルセンにつながるものをそこに見たいと思うのだが・・・・・

玖珠町に「人魚姫」や「マッチ売りの少女」「みにくいアヒルの子」のブロンズ像があってもいいと思う。いや、あるべきだと思う。
今や自衛隊の城下町と化している。それだけの町となってしまっている。
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by worsyu | 2012-02-22 11:54 | 地域ネタ | Comments(0)
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