佐々木則夫を範とせよ

体罰問題が社会問題化してきている。

大阪市の高校生が自殺した件から始まり、社会一般に問題化する動きが出た。(橋本市長が桜宮高校のスポーツ学科入試を中止したことは、賛否両論あるが、一定の評価はできると思う。形として意思を表すことは重要だ。ただし、これとは別に維新の会で石原氏と共闘していることは全く理解できない。すごくいいことを言うし、やることをやっている。でも、最終的な方向性が全くわからない。だからやはり胡散臭い奴だ、ということになるのだが・・・)

そして今回は柔道日本女子代表の選手たちが監督から暴力や暴言を受けたことに対して抗議をしていたことが判明。柔道連盟やJOCは収拾に躍起となっている。
どこで線引きしたらいいのか?大人はだめで子供はいいのか?体罰はダメでも言葉の暴力はいいのか?

ネトウヨがうじゃうじゃいるネットの掲示板ではこの問題はほとんど語られない。中にはマスゴミの女記者が炊きつけてやったに違いないといううがった見方も出ている。

スポーツをやり始めると、最初は楽しくてやっていたものが、上手くなるに従って、もっと上手くなりたいと思い出す。その求める心を利用してコーチ、監督の指導が入り込んでいく。
「上手くなりたいんだったら言うことを聞け」
これは依頼心が強く、自虐体質のある日本人は受け入れてしまうことが多い。組織の中にいると尚更だ。

今回の場合は、特殊な例だと思う。しかしながら、特殊であると同時に一般的に日本のスポーツ指導にありがちな面を内包している。

指導者の考える形に選手を当てはめる。特に団体競技では、勝利のために個性が犠牲になることが多い。選手たちとコミュニケーションを取り、話し合い、よりよい選択をする。ルール作りをしていけばいい。監督がルールだということは断じてない。しかも、そのルールでさえ絶対ではない。個人の人間性が最優先される。これを忘れたら形式論になってしまう。

サッカーはわりとそうした余計な締め付けが無いように思えるが、中にはひどい指導をしている人もいる。やはり女子の場合、監督は手が出せない分、汚い言葉が飛ぶことが多い。日本の女性は受け入れて答えようとする傾向がある。その献身的な愛情と犠牲の心は美しい。しかし、それを利用することは醜い。
やはり女性蔑視の傾向が見て取れる。

サッカー女子代表がワールドカップで優勝した際、私は、男子と対等の扱いをして欲しいと言った。苦労話を付けたり、震災の話をくっつけたりして彼女らの成果をまともに評価しない傾向があった。戦術や技術面での評価を全くしないのだ。

佐々木則夫監督がFIFAで最優秀監督賞を受賞したことは、日本のサッカーにおける指導が評価されたということだ。柔道の指導者はこの佐々木監督から学べばいい。

今回のことで、日本スポーツ全般や日本文化全てが否定的に扱われることはおかしいと思う。これは作為的だ。
しかし、ネトウヨどもが柔道などの日本の伝統スポーツを庇おうとする動きは非難されるべきだろうし、ひいては、民族主義につなげるのも気持ち悪い。却って日本の品位を落すことになる。

佐々木監督の例をとってみても、日本が好ましい指導をやっているということは世界から評価されているのだ。

まだまだ至らない面はあるかもしれないが、方向性として、女性の自立と権利の保障を目指すということを確認していくことが大切だろう。

P.S 私は内柴よりも穴井の方が好きだ。人間的に穴井の方が数段上だし、尊敬できるし、指導も受けたいと思うだろう。人間として、指導者として、これからの穴井に期待したい。
因みに内柴は熊本で穴井は大分です。
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by worsyu | 2013-02-02 14:26 | 時事ネタ | Comments(0)
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