暗闇に導かれたシンフォニー

希望のシンフォニーと呼ばれていた。
なぜ、そんなものに飛びついたのか?それは、何かにすがりたかったのだろうし、物語が欲しかったのだろう。

東日本大震災は、日本をすごく感傷的な雰囲気にさせてしまった。それを助長したのがマスコミによる大宣伝だ。国中が物語りを求めて、復活の旗印を探しまくったのだ。
AKBの指原がトップを取ったのも、その物語性に時代が上手く乗っかったからの結果だろう。
同様に大分トリニータのJ1復帰もその時代の流れに乗っかった部分も多少あっただろう。

東北では、特にそうした感傷主義が蔓延しており、その空気は東京及び首都圏までを覆いつくしていたと言える。

大分に住んでいると、感傷主義に浸っている東日本の社会の状況が異様に思えるのだが、実際に経験し、そこから逃れたいと思っている人や、不安を抱える人にとってみたら、何でもいいからすがりたい気分の方が勝るのだろう。

「Hiroshima」はyoutubeで去年聴いたし、TVでも盛んに取り上げられていた。「現代のベートーベン」「盲目の天才」「奇跡のシンフォニー」「魂の旋律」とか。安直なコピー文字が躍りまくっていた。曲の方は、マーラーを基本に近代音楽の巨匠たちのパクリ(オマージュ?とは言えない)だらけ。全体としては薄っぺらな感動の押し売りを狙った曲である。
逆に、これくらいのシンフォニーなら、音楽をやっている多くの日本人なら簡単に作ってしまうくらいの曲だ。オリジナリティーの無い、ただ、上手さだけが耳に残る。狡猾ささえ感じる。何で、こんなものに魂を売るのか私には理解できなかった。

こうした、マスコミによる捏造の暴露は決して悪いことではない。「感動を返してくれ」という人は多いと思う。詐欺とはそういうものだ。それに加担したマスコミの責任は大きい。特にNHKは権威の失墜を免れないだろう。そもそもNHKを特別視していたこと自体がおかしいのであって、過度に信じてしまえば騙されるという、いい経験になったのではないか。

幸い、大分ではコンサートが開かれなかった。しかし、CDを買われた方は多いと思う。ご愁傷さまである。

フィギュアスケートの高橋大輔選手はSPで同氏の曲を使っている。辞めた方がいいと思う。恥の上塗りになる。メダルを狙っていないのならいいが、応援しているおばちゃんたちの名誉のためにも曲を変えたほうがいいだろうし、見識を疑われることになる。

作曲家に物語を作って売り出すのは昔からよくある話だ。しかし、貧乏人が宮廷音楽を作ることもできるし、大金持ちの名家の出の人が演歌を作ることもありうる。今や、音楽は技術と理論とセンスがあれば、その人間の出所などはどうでもよいことなのだ。基本ができたら、後は編曲してもらえばいい。それでどうにでもなる。そこにおけるオリジナリティーと出来上がった曲の評価は、専門家さえわからないのだ。ましてや、一般の人は、感覚を研ぎ澄まして、自分の嗜好に合致するもの以外は評価しないという鉄則を立てていなければ、こういった詐欺に会うことは避けられないだろう。

最終的に暗闇に導かれてしまったシンフォニー。正しい位置に戻ったのだろう。
これは、悪いことではない。

 

 オウム真理教の事件も、教祖が弱視であるということで、真実を見る目に霞が掛かってしまったごとく、今回も同じく弱者の衣を着た詐欺師に引っかかったわけだ。

多くの人間がこの詐欺に関わっていることを明らかにして欲しいし、責任を追及することは必要だろう。

これは映画にしたい題材である。日本人に特に顕著であり、特有な「弱者のエゴ」がどこまでも通っていく喜劇。そして悲劇である。



 


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by worsyu | 2014-02-06 10:32 | 芸能ネタ | Comments(0)
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