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豊の国

野上弥生子の小説で、最高傑作であるとされるものに「秀吉と利休」がある。
茶の達人であり、総合芸術家として政治的な腕も振るった千利休。それに対して、権力闘争に明け暮れて、権謀術策の限りを使って政治をつかさどった秀吉。
あることが秀吉の逆鱗に触れ、切腹を命じられる。
助命嘆願を伺い出ず、利休は切腹を受け入れる。
芸術家として、引けない部分を持った利休は見事である。
対する秀吉も政治家として、引けない部分があったのだろう。

世の中、盛り上がらない選挙である。

最近、政治家とは何なんだろう、と思う。
政治家にとって、命を掛けて守るものは信条であろうし、国の行く末を思って主張する政策であろう。
しかし、聞こえてくるのは、金の話ばかりだ。「国から貰う補助金のために清き1票を」というのは、何だかおかしい。
国のお世話になっているような感覚を押しつけられるのは何だか癪に障る。
これまでだって、無視されてきた。それでも生きてきた。大分は中央からは疎外された存在ですらあった。それでもここまで生きてきた。却って豊かさの創出を工夫してきた。

大分は豊の国である。本当の豊かさとは何か。少なくとも、品や格を落としてまで、金は欲しくない。金は欲しいが知恵を使って、誠の力で作り出したい。(大体、国は破産状態なので、今更、望んでも高が知れている・・・信じたい人はどうぞ。四国と結ぶなんてたわけ話には笑ってしまったが・・・)

たとえば、掃除である。ゴミの処理である。
身の回りの街中に落ちているゴミを拾うこと。トイレを綺麗にすること。いろんなボランティアがある。身近な年寄に声を掛けること。それだけでもいい。郷里に帰って、実家の掃除を久しぶりにやってみる。それだけでいい。
国家の洗濯はそういうことから始まる。
県民一人ひとりが掃除する気持ちを無心でやり始めることで、国が動いていく。
大分銀行ドームの掃除だって、好きでやっている。それでいい。
試合が終わって帰る時、落ちているゴミを拾う。それだけでいい。

心の豊かさを大事にしたい。それが本当の豊の国につながると思う。
by worsyu | 2014-12-09 17:49 | 地域ネタ
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