セントルイス万博

更新してませんね。最近。W杯もようやく終わりました。暇つぶしの話でも。
明治37年。1904年。日露戦争の真っ只中で行われたアメリカのセントルイス万博。会場をアッといわせたのは、160台の自動車。キャデラック、フォード等等。それまで実際に自動車がこの先実用化されるなど思っていなかった人々は、夢が現実になっていくことへの期待感でそのものを見た。20世紀は科学技術によってまさに夢と希望にあふれた世紀になることを予感させた。
さて、日本は当初、出展を見合わせようと思っていた。何せ国には金がない。日露戦争の真っ只中。しかし、万博事務局長の手島氏がここは近代国家日本をアピールする絶好の機会であり、「日本の誠意」を示すべきと政府を説得して、金閣寺と日光陽明門を模した日本館を作り上げた。ちなみにロシアは参加を取りやめたので日本株は一気に上昇したと言う。
この万博は、これまでの発明主体の博覧会ではなく、企業博の色合いを強めたともいわれ、その規模も総面積が500万㎡を超える広大な敷地を利用しました。1500を超える展示館が立ち並び、21㎞の鉄道と17の駅から構成されていました。
建物はその一つ一つがまた巨大で、農業館の中を見るだけでも何と15㎞も歩かなければならないほどだったと云われています。
ちなみに城島後楽園遊園地が1万坪です。㎡計算だと3万3千㎡になります。つまり、160倍。とんでもない広さです。
そんな中で行われた万博でしたが、グランプリは何と日本が出した京都の仁和寺の国宝「孔雀明王像」を写真で写し取り、それを木版画で作成したものになったのです。この木版画はただの木版画ではありません。その原版画を用いて1990年に再製作しましたが、完成に1年を要したそうです。天地167センチ×左右103センチ、両面に彫られた版木は22枚、摺度数1380度摺。日本文化の繊細さと職人の技術の確かさ、写真製版技術を用いた先取の気質にあふれています。
グラフィック界、印刷業界や広告界にいる人ならその狂気じみたこだわりに驚くでしょう。現在はこうした模写は高精細印刷でも8色か10色で再現されます。それを1380回も色を重ねるなどとはとんでもないことです。でも、こうした作品は2度と作れません。明治日本の意気込みを知ることのできる出来事のひとつなのです。
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by worsyu | 2006-07-10 17:49 | ひまネタ | Comments(0)
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