銃社会と和の心

米バージニア工科大銃乱射事件の犯人は韓国出身のチョ・スンヒ容疑者(23)であったと発表された。それまではアジア系という表現が使われており、一事、中国、上海の留学生という報道に、中国のネットは大騒ぎになったらしい。中国ネチズンの反応は、逆恨みというか、アメリカを非難したそうだ。そして、韓国とわかると、「やっぱりね」と胸をなでおろしたそうだ。
一方、韓国ネチズンたちは大変。これで韓国に対する信用がなくなった、とか、在米韓国人街の人たちは報復を恐れて外に出られないとか、過剰反応をしている。失望感が漂う。おそらく、国を挙げて全力で彼が韓国人としては特殊な人間であったことをあげつらって、大多数の韓国人はいい人たちだ、というキャンペーンを張るのだろうか。朝、鏡に映った顔に驚き、化粧をするみたいに。

我々日本人にしても、戦々恐々と犯人の発表を待っていたわけで、他人事ではない。しかし、彼らと違う点は、やはり、アメリカ人とは友達であるということだ。太平洋戦争後、アメリカの占領政策を受け入れ、しかも民主化、自由化を進んで受け入れた。感謝すらして、文化的な憧れを持って、今では友人としてお互い認め合う関係になったと言えるのではないか。それは、日本人が群れを作らず、アメリカ社会に溶け込もうとすることでその信用を勝ち取っていった歴史があるからだ。
おそらく、この学生も自分の価値を社会に認めさせるために、破壊行動に移ったのだろう。そこに銃が無ければ、刀や自動車で他者を傷つける。また、日本人のように内に篭れば自殺する。自分でコントロールできる破壊は自分自身だから。
だから、この事件は他人事ではない。ただ、中国、韓国とは違い、日本人には他者を認める寛容力がある。曖昧さを容認しても成り立つ精神構造がある。聖徳太子の「和の心」とはそういうグローバルなものなのだ。
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by worsyu | 2007-04-18 11:15 | 時事ネタ | Comments(0)
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