柳原白蓮

県民オペラと聞くと、大分の人はなじみが深い。しかし、「県民オペラ」は大分だけではない。全国各地で、オペラ活動がされているらしい。しかし、1976年に「吉四六昇天」などは、東京、大阪、中国公演まで果たしているし、「青の洞門」も2003年に東京公演をやっている。地方発の文化活動の団体としては突出している存在で、レベルも高い。しかも、彼らの多くがプロではないのだからまたすごい。
大分県の県民オペラは、全国的に歴史が古く、草分け的な存在だという。今年40周年を迎えたらしい。その40周年記念公演で取り上げたのが「柳原白蓮」である。
久しぶりに聞いた名前。
昔、1枚の写真に釘付けになったのを覚えている。いくつか写真があるが、新聞報道で使われた写真が美しい。
本名:燁子(あきこ)。公爵家で妾の子として生まれる。何不自由のない生活だったが、13歳の時に父が死に、北小路子爵家に養女に出される。そして、16歳で息子と結婚させられる。しかし、ここで受けた仕打ちにプライドが傷つき、男児を出産するが、その後、飛び出して柳原家に戻ってしまう。彼女の波乱の人生はこの時から始まると言っていいだろう。
この後、勉強に専念し、東洋英和女学校でキリスト経の教養をつける。卒業後、25歳年上で筑豊の炭鉱王-伊藤伝衛門の下に嫁ぐ。27歳。しかし、筑豊の炭鉱と大正天皇と従兄妹関係という環境と精神性のギャップは埋めようがなく、文芸サロンに活路を見出そうとする。そこで出会った青年-宮崎と恋に落ち、子を儲ける。新聞誌上で絶縁状を公開し、伊藤家から逃れる。やがて時代は戦争へと突き進んでいく。
まあ、後は、勝手に興味のある人は調べてくれ。
女性の解放という側面-(イプセンの「人形の家」)で見る人は多い。波乱の人生は面白い。ドラマの題材にぴったりだ。家からの解放。性からの解放。社会の保守性からの解放等。
しかし、私は、ちょっと違った見方をしている。
彼女は自我を抑えすぎるために爆発を繰り返す。2面性を持っている。
まず、生まれてまもなく小学校に入るまで品川の種物屋に里子に出されている。この経験から、質素な生活に対する抵抗感はなかったと思われる。
次に、16歳で受けた心の傷は深い。ここで男性不信に陥ったと思われる。
27歳まで女学校に通い、本を読み漁ったという。この時に精神性を尊ぶ素地ができた。
彼女が自由を手にするために使ったのがマスゴミ(新聞ゴシップ)というのも先見の明がある。
当時の状況を考えると、それはとても勇気のいることである。しかし、それをやってのけ、突き進むことができたのは、貴族という特権階級であったからこそ。そして、保守的な考えの人からの攻撃から逃れられたのも、天皇家との姻戚関係がある。おかげで、好奇の目で見られなかった。畏れ多いという感覚があるからだ。
一般人がやったら大変なことだったろう。当時は姦通罪があったから、牢屋行きとなる。
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by worsyu | 2007-10-05 15:39 | 地域ネタ | Comments(0)
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