考察してみる

国家というものが、共同体の幻想だとしたら、サッカーのクラブにも同様のことが言えるだろうか。

J1で一番の人気を誇る浦和は、過去のサポーターの過激な行動によって、日本唯一のフーリガンと呼ばれていた。しかし、これは浦和サポとメディアによって、かなり恣意的に作られたものである。
実態は、イギリスやヨーロッパのサブカルチャーである、ロック、パンクを中心とした過激なファッションを取り入れることによって、「フーリガン」というファッション性を纏うことを意図的に志向している。それは、サポーターのリーダーたちが、そのターゲットを感受性の強いローティーンからハイティーンに絞るという戦術に基づいていることからもわかる。
なぜなら、青年期に熱中できたものは、40代、50代になってもずっと、引きずっていくからだ。いつまでも忘れない。いくつになっても熱くなれることを彼らは戦略的に理解していたから。
だから、その「不良」っぽく「暴力」っぽく見せるために、サポを扇動し、たまにそれを真に受けたサポが事件を起こしたり、パフォーマンスをする。メディアを使ってそのイメージを植えつける。戦うサポーターというイメージだ。そのために、彼らは積極的にTVメディアを利用した。ネットなどを使って圧力を掛ける行動にも出た。

しかし、クラブの拡大戦略の中で、そうした反体制的な若者文化は次第にポップでオシャレな若者文化へと変化していくだろう。「男らしさ」から女性も参加できるものに変化していく。
しかし、彼らの行き着く先は、浅草の三社祭のように、騒ぐために集まってくる市外の輩(興奮と熱狂を求めて集まる)が中心になり、盛り上がるけれど下品で野暮ったくて排外的になっていくか、鞠のように、ファミリー化戦略の中で当初の魅力を失い、祭りにならなくなるか。
さて、彼らはどちらの道を選択するのだろうか・・・
私は前者になると思う。実際、現在がその形だからだ。おそらく、不良性というファッションからは脱却できないと思う。だから、時々、地方で悪さをするが、それを指摘しない地方メディアも腰抜けだ。

浦和の紙ふぶきを辞めさせたTOM-Gは偉大だった。
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by worsyu | 2007-12-11 15:24 | サッカー | Comments(0)
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