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日本のルール

日本人のメンタリティーが問われる。

仕事で、作業内容を伝達する場合、書面で正確に伝えることが大切。面倒でもそれをやらないと、後で言った言わないの問題になるからだ。どうしても口頭で受けなければならなかった場合は、電話ならば、周りに人がいる場所で復唱して、相手の意思を自分以外の人間にも聞いてもらうようにすること。周りに人がいなかった場合は、後で発言を撤回される恐れありと覚悟して、しつこく復唱して確認すること。

日本では、後出しジャンケンが通用する場合が多い。政治力でひっくり返すのだ。自分に都合が悪くなると前言を撤回し、政治力で丸め込む。あるいは、特例として新ルールを作って通す。これを政治家が堂々とやっているのだから、どうしようもない。
国民も親方日の丸で、これをやったからといってお咎めなしとなる。解釈を変えれば全てが通る。

中国はチベットを抑圧している。これは事実である。しかし、中国はそれを認めない。チベットの経済状態は以前に比べて向上しているし、人権も向上しているという。しかし、それは、漢民族と同列ではない。彼らが言う平和も漢民族の支配の下で行われる。彼らが全ての中心で考える。そのことを中華思想というのだ。一国社会主義が可能だったわけはここにある。

彼らはルールを守ろうとする。あいまいさを嫌う。だから、世界中からチベットが抑圧されていると指摘されても、それを否定する。いくら理屈を並べても無駄だろう。力しか彼らは信じないから。ルールは正義-教義なのだ。そのルールにはあいまいさは無い。

一方の日本は、あいまいさを残すことで後から修正してひっくり返す可能性を残す。ルールは正義ではない。あってないようなものだ。もし、ルールと呼べるものがあるとすれば、良心だろうか。しかし、相手に良心が無ければ通用しない。何とも心もとない。

なぜ、有名クラブの選手たちが、審判に対し口汚い言葉で罵り、威嚇してもお咎め無しなのに、それ以外の選手が下手に異議を申し立てると紙が出るのか。みんな不思議に思って見ている。上げだしたらキリが無い。おそらく政治的な裏工作があるのだろうとしか考えられない。

子供たちは、今回の件でどれだけJリーグが歪んだものかがわかっただろう。どんなに繕ってもそういうものはわかるものだ。自分たちが試合をしていて、そういうことをやられたら、おそらくショックを受けるだろう。サッカーをやっている人なら大海の気持がよくわかるだろう。

ルールとは正義ではない。良心なのだよ。その良心とは人それぞれ違うのだよ。だから、受け止め方が違うと正反対になることもあるのだよ。それが日本なのさ。
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by worsyu | 2008-05-06 06:51 | サッカー | Comments(0)
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