でもしか先生の行くあては?

「でもしか先生」という言葉が昔あった。何も取り柄も才能も無いので先生にでもなるか?とか、先生しかできないから、という理由で先生になった先生を指して言われた流行語だ。70年代、教師の数が不足しており、志願すればほとんど通ったという。
ただし、この話には裏があり、「デモしかしない先生」というのが本来の云われという説もある。

佐伯で発覚した小中学校の教員採用試験で行われたとされる贈収賄事件で思うのは、まあ、これで先生の権威は名実ともに地に落ちた、ということか。
所詮、教師とはそういうものでしかないのだが。今後は実力で示すしかないね。信頼回復をする気があれば、だが。
昔からの慣習とはいえ、「一子相伝」ではなく、「我子皆伝」にいたるまで私物化されている体質は、大きな変化を拒む体質、進化をしない組織として存在することを意味している。
それなりに真面目にやっているだろう先生はいっぱいいる。しかし、たとえば、東京では、団塊の世代が大量に退職期を迎えるに当たって採用率はかなり高いとも聞く。先生にそんなになりたいのだったら、都会へ出ればよい。
地方では競争率は高い。買い手市場だから、選り取り見取り。中にはそういう変な奴を入れるのも良いのかも?人気がある民間企業だったらそれもありなのだが。
仮にも公僕。税金を与えて養っているのは我々なのだから、我々の意見をないがしろにして、自分勝手なことをやられては困る。
これで、胸を張って堂々と九石ドームに来る先生や役人各位は少なくなるかも知れないね、当分の間。もちろん、飲み屋に入り浸るのも控えてほしいね。
このまま時が経って、何も無かったように、先生の子は先生になることに何の違和感も持たない空気になることがおかしいよね。コネによる人間関係と社会の形成は、地方では多く見られることだが、それは競争を排除した社会、実力を無視した社会、公平さを軽んじた社会、進歩を無視した社会ということになる、ということを先生たちにもわかってほしい。
恥じ入るならば今の職を辞して新しい仕事を探してほしい。都会では、そういう人材を欲していると思うよ。「でもしか先生」が重宝されるのはそういうところなのだ。
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by worsyu | 2008-06-17 17:48 | 地域ネタ | Comments(0)
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