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カテゴリ:時事ネタ( 142 )

アメリカに勝つということ

ラグビーW杯一次予選もいよいよ最終戦を残すのみとなった。
日本は首の皮一枚で予選突破の可能性を残している。しかし、今晩のスコットランドVSサモア戦でスコットランドが勝てば、その時点で勝ち点差で日本の敗退が決まってしまう。
明日の深夜、アメリカ戦を控え、前日に結果を知ることとなる。モチベーションは天と地の違いだ。

スコットランドは南アフリカ戦で日本の援護射撃などしてくれるはずもなく、計算通り、2位狙いで戦力を温存した。
サモアの日本への愛を信じるほかない。

ただ、日本の一次予選敗退が決まったとしても、アメリカ戦は興味深いものがある。ランキングではわずかに日本が上であるものの、これは戦いである。
特にラグビーでは格闘技的要素が強く、しかも、国家を背負っているという独特の雰囲気がある。戦い方が評価される。

日本はアメリカにこれまでほとんど負けている。実際の戦いにおいては、サッカーの韓国と日本のごとく、負け続けている。
意地でも日本には負けられないと思っているアメリカ。それに対して、一次予選敗退後のモチベーションの下がった日本。

僅差の戦いになるだろう。(もちろん、スコットランドが決められなかった場合は全く違う状況になるわけだが・・・)

ワールカップという舞台においてアメリカに勝つということは、歴史的な出来事になる。単なるスポーツを越えて、戦争に勝つ。誇りを取り戻す。日本人としての独立自尊を内外にアピールできる場と成りうるのだ。

多くの日本人はその意味がわからないであろう。しかし、私には、わかる。理解できる。もし、勝ったならば、南アフリカに勝ったということもすごいが、アメリカに力と頭で勝ったということになるからだ。

所詮、マイナー競技だとか、外人部隊の寄せ集めだとか、ネガティブキャンペーンがマスコミから流されるだろう。

しかし、これは歴史を変える。
ラグビー日本代表がワールドカップでアメリカを倒したとなると、その影響は世界はもとより、日本中に意識改革、革命が起きるだろう。

社会が変わる。

アメリカと対等になる。いや、上に成ることもあるということを誇示できる。

英国連邦という価値観の中で、アメリカは下になるが、日本は違う。アメリカよりも上ならば、英国とは平等ということなる。(これは、かつて、韓国(朝鮮)が中国の属国としてしか認められなかったことと、日本が日王を持つ対等な国と認められたことと似ている)

私は、日本が勝つことを願っている。















Stand Alone
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by worsyu | 2015-10-10 19:07 | 時事ネタ | Comments(0)

ヨーロッパに吹いた日本賛美の風

日本が南アフリカに勝ちました。信じられないことが起きました。
ラグビーのワールドカップで日本が世界3位の南アフリカに勝ったのです。

私の戦前の予想は、多くのラグビー関係者と同様、負け試合。南アフリカに全力で当たるよりも、スコットランドに照準を合わせた方が確率が高いのではないか?という考えだった。というよりも、実力差からして、トライが取れるかどうか、取れても点差が30点以内で収まるかどうか、だった。

ところが、先制点は日本。しかも、トライも上げて接戦を展開。最終盤に掛けての試合のコントロールと戦術の選択で試合の勝ち負けが決まる展開に。

南アフリカは、ペナルテイキックを選択。消極策で、確実に3点を取って逃げ切りを図る。
一方、日本は、ペナルティキックの権利を得るも、同点に追いつくよりも、ロスタイム(-試合が止まったらそこで終わり)でのトライで逆転を狙う。

そこはペナルティだろう、と思った。円陣で話し合う選手に向かって私はそう思っていた。
リスクを背負って、ギャンブルか?しかし、ここは、チャレンジ。相手は一人少ない状況であれば、トライが取れるという計算があり、その決断に至ったのだろう。そして、ジャイアントキリングの醍醐味を我々は目にすることになる。

世界中というと語弊がある。主にラグビー人気があるヨーロッパ諸国及び英連邦であろう。
アイルランドのパブリックビューイング会場が興奮のるつぼと化し、日本以上の盛り上がりを見せる。
イギリス国内でも、これで日本のファンになるといった現象が出る。

不思議に思うかもしれないが、日本が支持される理由はいくつかある。

まず、ラグビーとはエスタブリッシュメントのスポーツであるということだ。あの荒々しいプレイが展開されているのに、紳士のスポーツというのは矛盾していると思われるだろうが、前回にもお話したように、上流階級のスポーツとして、国家を導く青年たちが好んでやっていたと言う歴史がある。

日本においても、皇族の名が付いたラグビー専用の競技場があるのは皆さんご存知の通り。

つまり、国家の威信を掛けて戦っているのである。それは重い。或る意味、戦争にも匹敵するくらいである。
だから、日露戦争で日本が大国ロシアに勝ったような興奮が今、ヨーロッパに起こっているのだ。

日本を応援するのは、南アフリカが人種隔離政策を長く取ってきた差別国家であることも多少あるのかもしれない。一段低く見ている感がある。オーストラリアは囚人の国であるし、ニュージーランドも同様である。そこにはエスタブリッシュメントとしての土壌形成はない。ただ、強いだけ。尊敬には値しない。
民族を越えて、宗教も越えて、勇者に対する尊敬は勝るというわけだ。欧米諸国は善悪を決めて応援するという習慣がある。

勝ち負けは重要である。しかし、いかに戦ったか、どういう戦い方をしたかで評価が違う。そこもラグビー特有の価値観である。その面でも日本は称賛に値する戦い方をしたのだ。

さて、日本の目標はベスト8に入ることだ。残念ながら2戦目のスコットランドには大敗した。これも戦術なのだろうか?という気すらする。(スコットランドに借りを作ったわけだ。このお返しは南アフリカに勝つことで返してもらうということだ。)
つまり、地の利を生かすということだ。もし、ここでスコットランドに勝ってしまうと、日本の人気は下がっただろう。強さを示すことはできても、愛されないだろう。もちろん、勝つことが一番だが、それに次ぐ重要なことは、日本の姿を示すことである。

本当に力が付けば、ブーイングされることになる。それを快感に感じるくらいに強くなれば、それほど嬉しいことはないのだが、さすがにそこまではいけない。イギリスのラグビーファンの中ではまだ好意的に見られている。脅威とは思われていない。もちろん、まさか優勝などできるなど思っていないし、ましてや、母国が敗れることなどもってのほかと思っている。
しかし、東洋の未開の国から文化国へと飛躍してきた日本が、西洋文化を取り入れ、頑張っている姿を見るのは微笑ましいといったところだろう。

敢えて、私は言いたい。確かにラグビーの文化は日本に根付いた。しかし、それは、日本の精神土壌に合っている部分があったからであって、全く違っていたらそこに根を張り、花を咲かせることは無かったであろう。
体力的に劣っていても、規律と努力と戦術を駆使して正確なプレイをすれば、世界に通じることを証明したのだ。

すべてのプレイに意図があれば、失敗しても次につながる。

トンガ、アメリカに勝つことで、必ず道は開ける。
ラグビーに奇跡は無い。それは、あらゆる条件を満たした場合に、相手に勝つことができるという意味である。








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by worsyu | 2015-09-25 11:35 | 時事ネタ | Comments(0)

SEALDsに思う

SEALDsについて。
あのコールは面白い。4ビートか2ビート。そして3ビートを時々入れる。ヒップホップ系のリズムを利用するのは面白い。CD出したら結構売れるかも・・・・耳に付く・・・・ビートに乗っかる日本語が新鮮。これは世界に通用する。

自然発生的な未熟性が魅力なのかもしれない。しかし、既存のものに頼らないため、脆弱である。吹けば飛びそうな危うさがまた魅力なのだろう。とにかく敷居が低い。デモというものをしてみたい人にとっては、嬉しいアトラクションだ。楽しそうである。このムーブメントを戦略的にコントロールできたらすごいね。

若さゆえの甘えが許される。しかし、政治は現実だ。実際にこの国を動かしているのは官僚である。その官僚と国民の間にいるのが政治家なのだ。いらないと言えばいらない。だから、日本の政治は官僚にべったりだ。方向転換ができない。際まで行かないと自発的に変革はできない国なのである。
なぜか?総括できない国だからである。70年代の学生運動の時に吹き荒れた「総括」という言葉は、当時の日本の若者にとっては、死ぬことでしか解決できなかった。日本経済の実態はまだ貧しかったけど、経済成長の希望が見えていた。生活の向上が実感できていた時代だからである。

しかし、今は違う。生活はあの頃よりも豊かになった。しかし、将来の不安は増すばかり。希望はない。「総括」しようとしたら、国を壊すことに向かうだろう。
だから、坂本龍一氏が言うように「フランス革命にも似た」意識の高揚を見ると言うのもうなずける。
ただし、フランス革命を見ていくとわかるが、あのルイ16世は、本来、勉強家で進歩的であり、人民に対しても寛容であり、人気もあった。しかし、フランス経済が財政的に逼迫したことで、全ての不満が貴族階級に集中し、その象徴としてのルイ16世であり、マリー・アントワネットなのである。
そして、フランス革命が起きたきっかけは、「パンをよこせ」と若い主婦たちがヴェルサイユに押しかけたことに始まる。日本はまだそこまで行っていない。

「戦争法案反対」ということについて言えば、結局、自衛隊そのものが違憲なのであって、それを十分承知の上で、アメリカとの関係のバランスにおいて、行われているのが日本の政治なのである。これは事実です。まぎれもない事実です。

だから、本当にこの問題を解決するには、自民党の言うように憲法を変えて、アメリカが推し進める自由という名の覇権に組み込まれるか、それとも、敢えてそこからは一歩引いて、平和憲法遵守の立場から自主独立路線で行くかの選択しかないのだ。

そして、その産毛の生えた未熟なSEALDsに平和憲法遵守の立場から自主独立へという道筋が垣間見える。

本当にそんなことができるのか?という疑念と、本当にみんなが(日本人だけじゃなく、世界中の人々が)賛意を示すのならば、それができるかも、という可能性を見る思いもする。

自民党がどうのこうのというよりも、日本の官僚-若き官僚たちがこの運動をどう見ているのかの方が重要である。日本のエリートたちの選民意識はそれほど高いとは思えない。庶民の民度の高さに比べて、エリートたちのエリートとしての意識は低いと思う。だからおもねるのだ。
日本の若き官僚たちもこのSEALDsの動きについて、心を動かされている人が出ているだろう。
SEALDsが上手いのは、文系ではなく、理系でもなく、アート、デザイン、音楽の力で計算された感覚に訴える方法で支持を集めている点にある。これは、同調する。否定できない。
「なんかSEALDsいいよね」って感じが広がることで、彼らは支持はされないが、共感が生まれるだろう。

しかし、現実の政治に彼らの思いを実現させる段になると、分裂が始まるだろう。結果についての責任が生まれる。自己保身が始まると内部対立が起きる。政治とは結局権力闘争なのだ。
ロベス・ピエールやダントンのような政治家が出てくるかもしれない・・・・強い権力を用いないと変わらない。でも、それは民主主義ではなく独裁政治なのだ。

まあ、先のことよりも少し先のことを考えた方が面白いか・・・・・
フランス革命は、面白いよ。今度、わかりやすくまとめて紹介してみたいと思っている。
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by worsyu | 2015-09-11 11:51 | 時事ネタ | Comments(0)

子ザル命名騒動

高崎山の子ザルの命名で「シャーロット」が不敬にあたると憤慨している人がいる。程度の差こそあれ、英国の高貴な方たちに対して、サルという日本(および東アジア)では蔑む対象にされることもある動物を当てるということに違和感を持つ人も多いだろう。

まず、「シャーロット」といっても、これは英国王室独特の名前でも何でもない。次に、猿および霊長類を蔑視する人は限られる。不敬ということを振りかざしたい人たちがいるという現実を見る思いもある。

英国は紳士の国というのは表向き。しかし、日本は明治維新以降、英国王室及び英国とはかなり憧れをもって接してきた。18世紀、英国及びお英国王室は世界経済の中心であり、範であった。そして、日本は皇室がそうであったように、英国に認めてもらいたい一心で文明開化を進めていった。

外国人(特に白人)は、日本に来て驚くであろう。突然、自分が神様になったかのように厚遇されることに。この英国信仰というか、白人崇拝志向というのは、連続テレビ小説の「まっさん」の主演女優であるシャーロット・ケイト・フォックスに対する盛り上がり方にも見てとれる。

18世紀のヨーロッパでは、庶民はフォークとナイフで食事をしていたわけではない。素手で食べていたのだ。当然のことながら、日本では、どんなに貧しくとも、礼節を忘れず、衛生的な生活をし、箸を使って食事をしていた。
この日本の庶民の文化的高さに驚嘆した人は多い。古くはフランシスコ・ザビエルもその一人である。
しかるに、明治維新後、政府は西洋化の名のもとに、一級国に認めてもらいたいがために、西洋の猿まねをする。鹿鳴館である。
これはヨーロッパの文化人を大いに失望させた。(現在は東洋も西洋も無い。現代建築物やファッション等、あらゆる文化に混雑したものが作り上げられている。日本の猿まねから進化し、身となったのである。猿まねも無駄ではない。むしろ、日本文化はその柔軟性と感性そして神経質なまでの美への執着性にあるといっていいだろう)

このことはドナルド・キーン氏が指摘しているわけだが、韓国人や中国人だと全く扱いが違う。いわゆる人種差別が陰にかくれて無意識のうちに白昼堂々と闊歩しているのである。

古代ギリシャ人は、生まれた子供の出来具合で殺してしたという。この美的感覚至上主義に似たものが日本人にもある。倫理観よりも先に美という価値が優先されるのである。

福沢諭吉翁が唱えた「脱亜入欧」は、今、再び輝きだしている。これは、悪いことではない。むしろ、歓迎したい。しかし、日本の美的感覚を抑え込む権威主義は、やり過ぎると醜くなることも認識しておく必要がある。
日本の庶民の民度は高い。これこそが、日本を支えている。だから、マスコミや情報による洗脳には目を光らせる必要があるのだ。

結論としては、浅はかな大分市ということになる。当然、そうなることは予想できるはずなのに、当事者にはわからない。お役所仕事というか、無責任。市場調査、マーケット、風評の無視。ネットの怖さを知らない。

この話題性からどう動くかが注目される。日本のお役所(官僚)の理性が問われている。

しかしながら、どういう結論を出そうがそれで受け入れよう。まず、大分県民は昔から天皇の臣であり、また、西洋文化を尊ぶ民であり、アジアに対しても友好関係を保ち続けている民である。
誠意をもって対処すればいいのだ。それだけの話だ。
誤解しようとする輩こそがおかしいのであって、基本的に罪は無い。

英国王室にしても、そこまで権威づけられることに戸惑うだろう。却って迷惑。本来であればほほえましいエピソードになる話だったのに。
おかしな日本人。気持ちわる・・・・ということだろうか。
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by worsyu | 2015-05-08 10:03 | 時事ネタ | Comments(0)

野上弥生子-偉大なる巨人

「花子とアン」がいよいよ大戦争に突入してきた。

戦争という巨大な壁に遭遇した時、人間はどう判断し、どう行動したか、特に、日本の文化人-知識人たちがどう生き抜いたか。彼らの生き方が、結局、戦後の日本と今の日本を形成することになったと言える。

それでは、村岡花子はどうだったのか?
彼女はその他多くの女流文化人と同じく、戦争賛成派に属した。積極的に参加したわけではないが、ラジオを通じて戦意高揚を幼少期の児童に働きかけた行為は十分加担したといっていいだろう。

彼女が特別というわけではなく、「青鞜(せいとう)」の平塚たいてうも「昴(スバル)」の与謝野晶子も、この戦争を応援した。他にも大勢の文化人がこの大戦を讃える檄文を寄せた。
女性作家たちがこの大戦に与えた影響は小さくない。銃後の家族-とりわけ主婦たちによって形成された感情的な敵愾心や女性特有の残虐性が日本人に形成されたことを指摘する論者は少ない。
識者と呼ばれる多くの文化人たちは、女性は平和主義者であると決めつけ、戦争中に起きた女性の手による間接的な非人道的な考えや行為を不問にしているのは、残念なことである。

もちろん、彼ら、彼女らは、現代とは違い、社会的な身分は低い、ペンのみで生活していくことが難しかった時代である。そこで背中に剣を突きたてられては、飲むしかなかったともいえる。

ドラマの村岡花子がラジオ放送を辞めたいと言った時、「ごきげんようを待っている子どもたちがいる」といって引き止めたNHK。しかし、この言葉の裏にあるのは、騙すためには甘言が必要なのだということである。そのことは、当然村岡もわかっていたはずである。

文化人-文学界がこぞって戦争に加担していく中で、それとは距離を置く人も居た。

野上弥生子である。

戦争反対と声高に宣言すれば、牢屋に入れられる。共産党に属していれば、官憲により拷問を受け、殺される時代である。

野上弥生子は、臼杵の出身である。生い立ちを書くと長くなるので端折る。
あのフンドーキン醤油の長女として生まれた。15歳の時に上京。当時、女性で高等教育を受けるということは非常に珍しかった。
その後、同郷で英語を教わっていた野上豊一郎(英文学者)と結婚。豊一郎が漱石門下であった縁から、小説を漱石に見てもらい、そこで、作家としての心得を得ます。

「文学者として生きよ」

これが漱石から与えられた道だったのだ。

彼女は、1937年(昭和12年)の新聞の年頭所感に「どうか戦争だけはございませんように・・・」と書いた。当時、かなり問題発言になった。
しかし、彼女は戦争反対という意志を示したものの、それ以上の目立った行動はしなかった。それ以上やれば自分の地位や生命のみならず、家族や親せき、関係者にも災難が降り注ぐことを知っていたからだ。

彼女は戦禍が激しくなると軽井沢の山荘に籠り、執筆活動に専念する。こうしたことができるのも、夫豊一郎の存在がある。恵まれた環境の中で、しかも、あらゆる伝手を使って自分の信条を崩すことなく生き延びたしたたかさがある。
達人である。

宇野千代が「私が畏れ、仰ぎ見るのは、天皇と野上先生の二人だけ・・・」と言わしめた。(おそらく、この言葉を聞いたとしたら、「別に宇野千代ごときに畏れられても詮無きこと、と笑ったであろうか・・・)
それは、明治、大正、昭和を生きた知識人としての女性の生き方の範を示したからだろう。

野上弥生子本人の日記には、「一葉よりは或る意味、ずっとよい仕事をしたつもり・・・」と書かれているらしい。私は次の1000円札の候補として野上弥生子を挙げたい。(おそらく、「漱石先生と同じ場所に座る度胸は私にはありません」とでも言われそうだが・・・それならば一葉より上の5000円でどうでしょうか、と言いたい。それだけの価値がある。これからの我々が彼女を再評価することで可能となるだろう・・・)

大戦という巨大な壁をしなやかに乗り越えた巨人-野上弥生子。

1951年(昭和26年)初夏。法政大学女子高校(当時の校名は法政大学潤光女子中・高等学校)で生徒に訓示した中で、

「女性である前にまず人間であれ」

という言葉が有名です。今もなお輝きを放っています。
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by worsyu | 2014-09-03 11:45 | 時事ネタ | Comments(0)

セクハラ撲滅へ

東京都の議会でセクハラやじが飛んだそうだ。
みんなの党の塩村文夏女史が出産、育児に関する一般質問をしている最中、男の声で若い女性をからかうようなやじが飛んだ。

この問題がここまで大きくなった原因は、東京都に居る外国の特派員が世界中にこの破廉恥騒動を伝え、世界中に日本の中心地で起きたという驚くべき痴態が報じられたということにある。

私は、以前から、「東京は世界を知らない田舎者が多いところだ」と批判してきた。というか、バカにしてきた。それは今でも変わりない。

おそらく、世界の人々は、「首都東京の議会で行われているのだから、地方や、一般の会社はもっとひどいのだろう。」と思っただろう。イメージを作らせてしまった。

東京なんてどうでもいいいんだが、それが、大分県なんかもっとひどいだろう、と思われることが心外である。

冗談じゃない!

何党がどうだこうだの問題ではない。やじが大体文化だとかほざいている時点でアホである。質疑応答というルールを無視している。自由討論ならいざ知らず、ルールを無視して発言している時点でアウトである。

しかも、品性下劣なやじが堂々と発せられ、議長が注意するわけでもなく、女性議員が騒ぎ出すわけでもないことが重大なポイントである。

おまけに、女性議員の過去を暴き出し、人間性を低めて、問題をごまかそうとする輩も出てくる始末。
腐っている奴が多すぎる。

女性を尊重することは、男性にとって最大の美徳であるという認識がない。

大分県は、日本で一番セクハラ告発の件数が少ない。もちろん、ゼロではない。しかし、一つの指標として、県別では一番少ないというデータがある。

今回の事件で、いっしょにされては迷惑と思っている人は、やはり、声を上げるべきだと思う。

少なくとも、大分県議会が注意喚起したことに対しては、拍手を送りたい。もちろん、手ぬるいと思うが、まるで無視したり、注意喚起すらしないところよりはまし。
できれば、セクハラ撲滅の宣言をすればもっといいのだけどね。

各市議会はそこまで踏み込んでもいいのではないか?

やはり、大分を首都にした方がいいんじゃないか?
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by worsyu | 2014-06-30 18:53 | 時事ネタ | Comments(1)

小野田さんの格言

なぜか朝から小野田氏の格言を読み返していた。
虫の知らせだろうか。不思議な縁を感じる。彼から私にシグナルが発せられていたのだろうか?
以前にも小野田氏のことは書いた。経歴のことはそこに書いた通りだ。所謂超人である。
私はその辺りのネトウヨではない。むしろ、逆だろう。しかし、彼の極限状況から得た考えから得るところは多い。真実があるからだ。

「世の中には出来そうにないことでも、やらなければならないことがあるし、できることでもやってはいけないことがある。この判断基準こそが、その人の価値を決める。」
安倍総理の靖国神社参拝はどちらなのだろうか?又、細川元総理の都知事選出馬はどちらなのだろうか?もっと下世話な話で、結婚の判断はどうだったのだろうか?転職の判断はどうだったのか?・・・


「生まれた時は自我ばかり、生きるためには自制と自律がなければ。」
とかく、日本人に個人主義の感覚は薄いと言われる。その点、比較的大分県人は個人主義的傾向が強いとも言われる。これは小藩分立で強い藩がなかったせいで、平等主義があり、又、キリスト教の普及も影響しているのかも知れない。しかしながら、自らを律し、社会の規範を守る意識は大切なことである。ルールには意味があるということだ。

「豊かさは自分の心で感じるもの。不便さは何とでもなる。最後は自分の五体で何とかなる。」
本当の豊かさとは何か?永遠のなぞだ。しかし、極限状況を経験している彼にとっては、どんな状況においても何とかなるという信念があるし、実際、何とかしてきたのだ。

「計画どおりにいかないことは沢山あるが、思い通りにはいくものだ。不満などどうってことはない。自分の満足度を少し変えればよいのだから。」
これもそうだ。楽天家である。底を知る人間の強さがある。不満なことなど個人の主観であって、どうでもいいことなのだ。今の状況でもある程度満足することはできる。計画をやり遂げる意志があればそれは幸せなことだ。

彼が本当に望み、やろうとしていたことは、日本人の誇りを取り戻すことだったのだと思う。それは、靖国などの小さな問題ではない。
彼の言動から真実を見出すことはなかなか難しい。しかし、その裏にこそ真実の想いが見える。



ご冥福を祈ります。
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by worsyu | 2014-01-17 11:17 | 時事ネタ | Comments(0)

警護団が必要

東京三鷹市で起きた女子高生ストーカー殺人事件について。
三鷹市というと、個人的には思い入れのある地で、作家の太宰治の墓のある場所でもあるのだが・・・

今回の事件で考えさせられたのは、フィリピン人とのハーフである加害者がネットにぶち撒けた被害者の卑猥な画像や写真などである。
新聞やテレビ、特にテレビの報道番組で語られるのは希望にあふれ成績も優秀で女優を目指していた、けなげな女子高生という姿を演出し全面に出している。
こうした感情に訴える演出をすることが果たしていいのだろうか?
私は、そろそろメディアも大人になって欲しいと思う。

一方、ネットでは、彼女の裏の一面がクローズアップされ、被害者であるにも関わらず、遺族や本人の尊厳が中傷にまみれる。

ネットの怖さも感じるが、一方で、テレビでは分からない部分も知ることが出来る。結局、世の中の現実は、そんなにきれいなものではないということだ。そして、それをどう受け止めるか、評価するかは、本人次第ということ。

しかしながら、この件に関して、私は、彼女を非難するつもりはない。都会の子によくある興味本位の自己顕示欲のある思春期の子どもにありがちなことだ。それが、タレント活動をしているということで、多少危ないことにも手を出してしまったという程度だろう。
通常、タレント活動をしていれば、事務所が私生活の面もフォローし、大きなところは、時にはヤクザを使って対処するだろう。
こういうことがあるからヤクザとの繋がりは芸能界にとっては持ちつ持たれつになるのだ。警察は助けてくれない。

でも、でもだ。本当にネットの力を信じていれば、ネットに助けを求めたら、逆に助けてくれる人が現れたかもしれない、と思うのだ。
そのためには、個人情報を流すことになるわけで、逆に危ないことに繋がるかも知れない。ネットで危ない目に遭い、ネットで逆に助けられる。そういうことが起きる時代になりつつある。

それでも信じられるネットによるストーカー警護団のようなものが組織されれば、警察よりも頼りになると思う。

警察か、ヤクザか、ネット警護団か。

私は提唱したい。ネット警護団の創設を。
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by worsyu | 2013-10-10 10:54 | 時事ネタ | Comments(0)

日本のおもてなし観光ベスト4

2020年オリンピックが東京で開催されることになった。
最終プレゼンの滝川クリステルは見事だったね。勿論、高円宮(たかまどのみや)妃殿下も素晴らしかったわけだが。日本人がここまで戦略的なプレゼンができるとは驚きだったね。でも、プレゼンって結局は無理に無理を重ねて嘘から出たまこと-真実に見せかけた嘘を感動の衣を纏わせてきれいに表現することでしかないわけなんだけどね。
大きな重荷を日本は背負うことになったわけだ。

滝川の言う「おもてなし」文化は確かに日本人にとっての特徴的な面ではある。
確かに東京でのサービスは本当に素晴らしい。それは、異常なまでのサービスだ。しかし、あえて言いたい。心がない、と。システマチックに行われているだけなのだ。

東京で行われている商業サービスは、整然としていて驚くばかりだ。それは、江戸時代から続く町民文化からきている。公衆道徳が発達しているので、混乱しないように個人の意志よりも団体の整合性を優先させる文化が長い間に形成されてきたからだ。
それは列を作って静かに順番を待つことであったり、場所取りのルールも守ることや、車の割り込みであったり、その他、あらゆることにルールというか作法があるのだ。
知らない人は戸惑うだろうし、整然と行われていることに感銘する人もいるだろう。
これは、彼らにとっては当たり前のことなのだ。その方が都合がいいからなのだ。
東京は日本で1,2を争う危険な都市である。犯罪の多い都市だ。人口比率で考えると少ないかもしれない(ロンドン、ニューヨーク、パリ等の世界の都市と比べれば少ないかもしれないが)が、毎日自殺事件が起きる。当たり前のように。すぐ近くで人が死んだり、軽犯罪が近くで起きることがある。
しかし、多くの人は見て見ぬふりをして助けようとするわけもないし、振り向きもしない。それは日常茶飯事であり、ごくごく当たり前の一日でしかないわけだからだ。関わりあうと却ってとんでもないことになることを恐れて逃げる。

おもてなしの心に優れているのは、やはり福岡だろう。都市と田舎が融合している変な街だ。福岡でオリンピックが行われなかったことは残念だったが、これも時代の流れだろう。今や、オリンピックが巨大ビジネスとなり、この魅力的な娯楽が安全に事故無く安心して行われる場所が求められているのだから、東京になることは当然であったのかもしれない。
そして、私を含め、一番頭が痛いのが、開会式等のエンターティメントだ。今まで失敗してきた汚名を返上できるのか?実際、現在、最高のエンタを見せてくれるのは東京ディズニーランドだろう。それを上回るところがあるだろうか?でも、使えない。アメリカ文化のエンタだからだ。

私が、日本に来る外国人に見て欲しいもの。
まず、富士山だろう。できたら静岡側から正対して見て欲しい。
次に江戸の花火だろう。これは、江戸っ子の粋を象徴している。東京でなければだめだ。
3番目は京都の金閣寺だろう。龍安寺、清水寺も入れていい。
そして、4番目に別府の温泉。個人的には明礬温泉がお勧め。
この4つが私がお勧めする日本の観光ベスト4だ。

私がおもてなしするならこの4つということだ。
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by worsyu | 2013-09-13 11:37 | 時事ネタ | Comments(0)

マリサポの本質

サッカー東アジア杯で日韓戦が行われた。
韓国サポーターは例によって政治的挑発行為を行った。日本人全体に対してだ。国歌が流れる時はブーイング、そして、蔑視ダンマクを張った。
さて、それに対して日本サポは何かしたのだろうか?
唯一、旭日旗を振り回した輩がいた。
この行為そのものに対しては、賛否両論あるだろう。旭日旗は、右翼や軍国主義を連想させる旗であることは事実である。しかし、日本人にとってはそれほど過激なものとも思えない。なにせ、平和国日本がやることだから、少々のことは問題ない。
もちろん、韓国側は騒ぎ出した。特に戦前の日本文化に繋がるものは排除する理屈からいけばそうなる。
この神経質とも取れる苛められっ子症候群には辟易させられるのだが・・・
日本サッカー協会は韓国サポの政治的挑発ダンマクに対し東アジア連盟に抗議文を提出した。
しかし、この旭日旗を掲げた奴のおかげで、我々を罰するならば日本も罰してくれという口実を与えてしまったのだ。ちょっと複雑なことになってしまった。

そして、この旭日旗を揚げた人間が最近わかったのだ。何と、マリサポだったのだ。写真を良く見ると、マリのユニを着ているではないか!emoticon-0104-surprised.gif
しかも彼はマリサポの中心グループのリーダーの友達ということらしい。つまり、マリサポの端っこの人間ではないということ。責任がある程度取れるマリサポの示威行為であったということがわかる。
それでは、彼らは何を目的にこのようなことをしたのだろうか?

いろんなことが考えられるが、私が考えるには、マリサポは日本の国粋主義的風潮が嫌いではありませんと言いたかったのではないか?ということだ。そこには、マリサポが反社会的、反日本的な行為が好きだという風潮(事実emoticon-0127-lipssealed.gif)を払拭したいという気持ちが見える。旗を掲げた彼が望んだのは「マリサポに市民権をemoticon-0136-giggle.gif」ということなのだ。それは単なる目立ちたがり屋の行為に見せかけた工作的行為であり、心が無い。醜い行為なのだ。

いみじくも、「ニッパツダンマク事件」で語ったように、マリサポの中枢とは、こういう連中なのだ。そんな相手とまともにダンマクで対抗してはいけないということだ。同じ感覚の人間に見られてしまう。すでに「ダンマク合戦」と書かれてしまった。しかし、中身は違うよね。

今後、他サポはやるかもしれないが、トリサポはやってはいけない。
関東のトリサポはそのことをよくわかっている。同様、トリサポの中核はわかっているだろう。しかし、ニワカは知らないかもしれない。だから、口を酸っぱくして言うのだマリサポに関わるな、と。

まあ、結果として、マリサポは筋金入りの反日だということになったわけ、なのかな?・・・ちょっと引くね。emoticon-0101-sadsmile.gif

どちらにせよ、今回の事件はなるべくしてなった気がする。マリサポとはそういう存在なのだ(私はこれまで何度も言ってきた。私は預言者ではないが、結果として私の目は濁っていなかったということだろうか)。大分の人は人が良いから彼らの本質が見えない。騙されないように!!emoticon-0141-whew.gif気をつけようね。(どうせ、あいつは本当のマリサポじゃねえって言うだろうけどね。ご都合で。嫌だ嫌だ関わらない関わらない・・・・)
サッカーに集中して、サッカーで楽しもうぜ!
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by worsyu | 2013-07-30 13:49 | 時事ネタ | Comments(1)