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カテゴリ:ひまネタ( 218 )

湯布院とプロヴァンス

木村尚三郎氏の「わが心の旅」がNHKで再放送されていた。翌日、新聞で同氏が亡くなったのを知る。追悼番組であったのだ。76歳。東京生まれ。東大名誉教授。歴史学者。フランス中世の研究で知られる。
同氏は、南フランスに中世の名残を残す城や町並みを歩いていく。30歳を過ぎて留学した地でもあり、懐かしさと中世に思いを馳せる場面が続く。緯度は北海道と同じでありながら、気温はそんなに寒くない。しかし、時折吹く山おろしの風は乾燥していて突き刺すように痛い。そして、日差しも違うという。空は青く、対象物の色がくっきりと分かれている。肌を突き刺すような光の矢を感じる。これはアメリカの西海岸でもそうなのだが、湿度が無いことは物がとてもきれいに見える。しかし、湿気がないから肌を傷める。印象派のセザンヌが愛した白い山が映ったが、太陽の光の矢を浴びて輪郭がキラキラ光っていた。いつかは行ってみたいなあ。

旅の途中、ある田舎町のレストランに立ち寄る。そこにフランスを代表するシェフがいるというのだ。シェフは最近、自分の著書が日本語に訳された、と言って自慢していた。日本では考えられないことだ。しかし、これがフランスなのだという。フランス人にとって、料理に対する尊厳の気持ちは、芸術の域にまで達しているということだ。最高の場所で作りたいからそこにいるのであって、食べたいのなら来ればよい。来るだけの価値がある。それがわからないのなら来なくて良い、都会で似たようなものを食べていれば良いというわけだ。

大分には湧き水が出ることで有名な場所がいっぱいある。湯布院、庄内、竹田、宇目・・・。しかし、そこに有名な料理人が店を出していると聞いたことはない。本当に美味しいものを食べたいのだったらそういう場所に食事処ができるはずなのに。日本の食文化はまだまだ低いと言わざるを得ない。ただし、湯布院は、可能性を感じる。まだまだなのだが。
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by worsyu | 2006-10-24 13:46 | ひまネタ | Comments(0)

負け組の歌

9月23日、吉田拓郎とかぐや姫がつま恋でコンサートを開いた。1975年以来31年ぶりということになる。NHKでその模様を拓郎中心にやっていた。最後の曲は「今日まで、そして明日から」。この曲には思い出がある。初めて聞いて心に残った曲だからだ。NHK広島放送局は、当時まだ無名だった新人の拓郎を紹介するドキュメント番組を制作した。そのタイトルが、この「今日まで、そして明日から」だったはず。そして再びNHKは同名タイトルで吉田拓郎を描いた。
この曲は拓郎が24歳の時に作った曲である。最初に断っておくが、私は拓郎のファンでも何でもない。どちらかというと嫌いな方だ。しかし、この曲だけは好きで頭から離れない。インパクトが強烈だったからだろう。今聞くと人生半ばにしてこれから第2の人生を迎えようとしてるおじさん、おばさんに贈るエールのようにも聞えるが、実際はそうではない。
1974年あたりの時代といえば、石油ショックによる狂乱物価と田中角栄総理の逮捕に代表されるように、政治、経済の混乱期だ。高度経済成長を終え、この後に続く未来図が描けない混沌とした世に、厭世観が若者に蔓延し、このような曲が生まれたわけだ。それは、暗い世相を現した裏の面にしか過ぎない。当時の若者特有の甘えの歌、「負け組」の歌だ。でも、それは「勝ち組」になる人間も感情的に共有できた不思議な時代。フォークブームが起きたのは、そんな時代の過渡期に湧き上がってきた不思議なモニュメント。日本人が感情を共有できた最後の時代だったのかも知れない。
今、笑って歌える「負け組」の歌はない。
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by worsyu | 2006-10-24 02:00 | ひまネタ | Comments(0)

豊肥の旅路

熊本は暑かったねえ。毎回そうだけど。今年はまだ10月だから良い方か。9月だったらこんなもんじゃない。ゴール裏のみなさん大丈夫でしたか?
朝8時すぎに出発。本当は7時30分に出たかったが洗濯とかいろいろあって・・・そこまで時間を延ばしても忘れ物はしてしまうわけで、情けない。順調に国道57号線を進む。朝地のローソン、竹田のドライブイン、波野の休憩所で同胞を見かける。前のトラックが遅くて少しイラつくが、竹田を過ぎて追い越し車線で抜く!!「煽ってないですよ」基本的に私は飛ばしません。
阿蘇町の交差点でいつものように少し混んだが、それを過ぎるとスイスイと思ったよりも流れた。立野を過ぎると安心する。はるか彼方に白く光る屋根を確認!!しばらく走っていると脇を2台のフェラーリがタンデム走行。ナンバーを見ると品川と熊本。車種はまったく同じ。顔は似ている。黒のTシャツにサングラス、柔な白い肌。「兄弟か!」
KKウィングに曲がる時には前後とも大分ナンバー。駐車場着11時15分。すでに七分~八分ほどの埋まり具合。12時あたりに来た人はちょっときついね。1時だと警察のところまで行かないと無理かな?(もうすっかり俺はKKウィング通)

試合が終わって駐車場に帰ってみると毎度のことながら大変な状況に。一寸ズリ状態。諦めて芝生で遊んでいた人も多かった。私はぐるっと回りこんで入口側の列の後ろにつけた。割り込むよりも気分いいし、こちらの方が早い。実際出るのに20分も掛からなかった。向こう側で割り込みながら苦労していた人たちはたぶん1時間は要していただろう・・・
帰りの道は立野の混雑を嫌い、大観峰コースを選んだ。信号無いし、混雑も無い。スイスイだ。しかし、夕闇から夜になって暗い中を高速で飛ばすのは思っていたよりも疲れる。後悔した。神経磨り減った。
途中、実家に寄りながらゆっくり遊びながら帰ったのだが、結構疲れた。もう若くないんだ、と実感した。
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by worsyu | 2006-10-16 11:41 | ひまネタ | Comments(0)

ひまネタ

茨城では関東やくざ抗争があるみたいで、どれだけ醜いのかTVで見てみようと思う。敵の敵は味方ということで、一応鹿島応援か?期待できないけど。まあ、鹿島がまじめに謙虚にやれば今なら2-1で勝つはずなんだが・・・・試合の後が彼らの本番だから、試合はどうでもいいんだろうけど。最低サポ決定戦?
(どうでもいいことだけど、茨城=いばらきと読んでも、発音はエバラギでもいいのでは?というか、地元の人たちは訛っているし、なぜか宮崎のイントネーションに近い。だから多いのか?)

OBS車ランドのCMで栗林の度アップから始まるのが許せない。
-いまどきこれだけの度アップに耐えうる人いない。キモイから目をそらす。作り方がおかしい。

沈黙の艦隊を見て思うのは、この漫画は絶対テロする奴らのバイブルみたいなもんだね。9.11やったやつらもこれを見ているはず、と確信した。日本の漫画のレベル高すぎ。でも、北朝鮮が核実験して、テポドンが「東京、大阪に向けられている」と宣言されたら、日本政府はどうするんだろうね。少なくとも株は大暴落するね。

シャルロット・チャーチが好きでよく聴く。「ピエ・イエズ」は何度聞いてもいいね。試合に勝った後に聴くのが個人的には好き。感謝の気持ちと満足感が訪れる。至福の時。アルバムはやはり「天使の歌声」で決まりでしょう。あのころはきれいだったなあ。タイでジョン・ベネちゃん殺害の容疑者が逮捕されたが、目が何か変だね。イッテルネ。金髪の少女趣味か。でも、やっぱり金髪なら北欧系がいいね。あっ、少女趣味(性的な意味で)は無いですけどね。

高校野球もそろそろ大詰めだが、高野連は鶴工にマナー賞かさわやか賞か何か与える義務があるよ。それができなきゃ、眉毛のことやら何やら口出しするな!!高校生らしい云々はもはや死語だ。眉毛いじった顔が出てくるのがウザくてしょうがない。
女は眉毛いじると洗練された顔になる。それは認める。大人の女に変身する。不思議だねえ。これで男はだまされる。そして10年後に愕然とするのだ。何でこんな女と・・・・


浦和との勝点差:
and
浦和戦まで:11日
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by worsyu | 2006-08-19 14:00 | ひまネタ | Comments(0)

眉毛

早稲田が強かったというよりも、鶴工の野球が草野球レベルだったのに驚いた。
それでも、ひとつだけ関心したことがある。それは、彼らの眉がいじられていなかったことだ。彼らは外部の人に対する挨拶もきちんとするという話もいろんな人から聞く。おそらく学校全体が指導し、また、生徒もそれに従っているのだろう。不満はあるかも知れないが。いやあるだろう。今時、こんな学校は却ってめずらしい。大分市内でも眉をそろえて落書きされた犬になっている連中をよく見る。また、薄眉にしてやくざになっている連中も。

ちなみに高野連は通達として、眉毛の剃り込みを禁止している。しかし、高校生たちは、眉毛いじりをやめない。
サッカーでも、ラグビーでも、それ以外の分野でも眉毛をいじるのは男のたしなみのように思われている。それを助長しているのはもちろん女だろう。そして、おばさん、おじさんは反対する。
私は、似合っていればいいとは思うが、若さゆえの行き過ぎは見ていて不快になる。やるならもっとナチュラルに上手にして欲しい。というか、TVでは見たくない。汚いものは見たくないのだ。それよりも何よりも、眉毛を容認するくらいなら茶髪を容認してほしいし、ピアスも容認してほしい。日本人の男が何故そんなに眉毛ばかりを気にするのか。正直わからない。美意識なのだろうか。そう言えば子供の頃、床屋に行くと眉毛の周りを剃ろうとしてたね。それが嫌で「眉毛は剃らないで」と子供ながら言っていたなあ。高校生ぐらいから美容室通いになってその心配はなくなったが・・・

手っ取り早く顔が引き締まる。しかし、それは本来のおしゃれではない。もっとやるべきことはいっぱいある。ヘアスタイル、デンタルケア、ムダ毛ケア、フェイスケア、香水・フレグランス、アクセサリー等々。
高校生らしいという言葉は嫌いだが、高校球児たちのこの勘違いセンスには参る。
鶴工は髪の毛もそんなに短くなく、眉毛はいじらず、自然で、とてもさわやかだったよ。他の学校の眉毛を見ながら、そんな当たり前の自然な姿に驚いた。

浦和との勝点差:
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by worsyu | 2006-08-07 11:35 | ひまネタ | Comments(0)

勝者の証明

亀田がチャンピオンになった。多くの日本人は「八百長じゃねえの!!」と憤り、見識ある人は「これもありなのかな。ホームデシジョン。でも昔の日本ではなかったなあ。」と唸る。
父親の「バッシング大いに結構。応援されたら負けの時、憎まれるということは勝ったということだ。」という言葉にも一理ある。
しかしまあ、大阪弁丸出しのタメ口を聞かされるのは耐えられん。博多弁も聞きぐるしいが、当の本人たちは謙る体裁の言葉を借りて、言いたい放題言っている。辛らつな内容も方言を使うと大丈夫とでも思っているのか、時としてすごい差別発言をしていることがある。

亀田を見ながら浦和を連想した。作られた偶像。強くて人気があるからそのやっかみも多い。
さて、トリサポは浦和以上に博多の森を占拠し、席捲できるだろうか。5000人入り声をいつもの倍出せば1万人分の声援になる。おそらく、TVではアウェイ側のマイクの方を高めに設定してあるのでもしかしたら、トリサポの声援が全国にTVを通じて響き渡るかも知れない。心して声を出せ。
アナに「まるで大分のホームのようなサポーターの声援ですねえ」と言わしめてみろ。
「憎まれてこそ勝者の証明」といえなくも無い。

シャムスカ監督は3試合後に後半戦に向けての目標を発表するらしい。
私の目標は浦和に並び、最後に勝ち点で上回ることだが、今年は、まずは並びたい。

浦和との勝点差:
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by worsyu | 2006-08-05 18:26 | ひまネタ | Comments(0)

ビデオ判定導入を望む

昨日の出来事。自転車で狭い歩道を上っていると上から高校生が数名下ってきた。すぐ横は段差がある車道で、転げたら大事故につながる。私の前に70歳前ぐらいの老女らが自転車を手押しで上がっていた。彼女らは止まって彼らを行くのを過ごした。私は、彼女らと高校生らに前を阻まれ、速度を落とした。
高校生らが通り過ぎた後、彼女らのわきをすり抜けた。一瞬、振り向いた彼女らの一人は小声で「すみません」と言った。
「いえいえ」
思わず口をついて出た言葉だった。なぜ謝る。悪いことをしているわけでもないのに。でも、それは反面どこか昔の日本の心の美しさを思わせる言葉だった。

埼玉で起きた市営プール事故で思うのは、都会で起きた事故と地方で起きた事故との違いについてである。マスコミへの取り上げられ方がその事件の方向性をも決めてしまうという懸念だ。レバノンでは多くの子供が爆撃の犠牲となっているが、平和日本の中で起きたショッキングな事故の方がわれわれには身近の問題として関心が集まる。それはそれで仕方の無いことなのだが。責任論、コスト論に精神的負担の価値が投影される社会に現代社会はなってきている。

大分市内で、道を歩いていていきなり見ず知らずの少年から「こんにちわ」と言われるとドキッとしてしまう。「この子とどこかで会ったかなあ」と。しかし、最近、それが煩わしく思えないようになってきた。「やあ、こんにちわ」と返せるようになっている。
「挨拶は人を笑顔にする薬」
しかし、会社などでは、なぜかこの挨拶が行われない。私がしても無視されるか不機嫌そうに小さく返されることが少なくない。企業文化の程度はまだ低いなあと思う。
人と人との距離。特に他人との距離をどのくらい置くかは、国によってもその土地土地によっても違う。
先日の川崎戦で起きた退場劇では、ビデオ判定の導入を私は提言したい。(大分トリサポは訴えてもいいと思う)それは上本を擁護しているわけではない。彼の不正が明らかになれば少なからずトリサポはブーイングするだろう。われわれは誇りを持てるチームの方が好きだからだ。
そして、この騒動に関わっている家本、廣島、上本、ジュニーニョ、関塚にはそれぞれ問題ありと思う。しかし、その上で疑わしきは罰せずという社会原則を貫く勇気を家本には持って欲しかった。

浦和との勝点差:
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by worsyu | 2006-08-01 10:59 | ひまネタ | Comments(0)

セントルイス万博

更新してませんね。最近。W杯もようやく終わりました。暇つぶしの話でも。
明治37年。1904年。日露戦争の真っ只中で行われたアメリカのセントルイス万博。会場をアッといわせたのは、160台の自動車。キャデラック、フォード等等。それまで実際に自動車がこの先実用化されるなど思っていなかった人々は、夢が現実になっていくことへの期待感でそのものを見た。20世紀は科学技術によってまさに夢と希望にあふれた世紀になることを予感させた。
さて、日本は当初、出展を見合わせようと思っていた。何せ国には金がない。日露戦争の真っ只中。しかし、万博事務局長の手島氏がここは近代国家日本をアピールする絶好の機会であり、「日本の誠意」を示すべきと政府を説得して、金閣寺と日光陽明門を模した日本館を作り上げた。ちなみにロシアは参加を取りやめたので日本株は一気に上昇したと言う。
この万博は、これまでの発明主体の博覧会ではなく、企業博の色合いを強めたともいわれ、その規模も総面積が500万㎡を超える広大な敷地を利用しました。1500を超える展示館が立ち並び、21㎞の鉄道と17の駅から構成されていました。
建物はその一つ一つがまた巨大で、農業館の中を見るだけでも何と15㎞も歩かなければならないほどだったと云われています。
ちなみに城島後楽園遊園地が1万坪です。㎡計算だと3万3千㎡になります。つまり、160倍。とんでもない広さです。
そんな中で行われた万博でしたが、グランプリは何と日本が出した京都の仁和寺の国宝「孔雀明王像」を写真で写し取り、それを木版画で作成したものになったのです。この木版画はただの木版画ではありません。その原版画を用いて1990年に再製作しましたが、完成に1年を要したそうです。天地167センチ×左右103センチ、両面に彫られた版木は22枚、摺度数1380度摺。日本文化の繊細さと職人の技術の確かさ、写真製版技術を用いた先取の気質にあふれています。
グラフィック界、印刷業界や広告界にいる人ならその狂気じみたこだわりに驚くでしょう。現在はこうした模写は高精細印刷でも8色か10色で再現されます。それを1380回も色を重ねるなどとはとんでもないことです。でも、こうした作品は2度と作れません。明治日本の意気込みを知ることのできる出来事のひとつなのです。
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by worsyu | 2006-07-10 17:49 | ひまネタ | Comments(0)