<   2009年 09月 ( 10 )   > この月の画像一覧

石田の優しさ

石田純一と東尾理子のプロポーズ大作戦を見た。見始めたら最後まで見てしまった。
この人はやはりすごい人だ。55歳という年齢には見えない。
いつからこんなに優しくなったんだろうか。
若い頃は結構飛ばしていた。「人生はギャンブルだ」という彼の言葉が印象的だった。
まあ、当時はトレンディ俳優としてもてはやされ、一躍時代の波に乗ったわけだが。しかし、それだけだったら、そのまま消えてしまっていただろう。しかも、「浮気は文化だ」という言ってもいないことをマスゴミに吹聴され、世間からバッシングされた。しかし、こうした批判に対して、否定するのではなく、大人の対応をし、逆手にとって、バラエティーの道を歩んでいくことになる。
彼は、下積みが長かったということもあるが、学生時代にアメリカに渡り、そこでも苦労をしている。彼の中では、苦労している人も成功した人も紙一重という感覚があるのだろう。若いスタッフや俳優に対しても決して怒ることは無いようだ。

私も人前でわが細君の肩を抱き寄せたり、手をつないだり、キスしたりすることはできる。へへっ、すごいだろう!!
だが、2人っきりになって、愛を語ることはちょっと無理。さすがに恥ずかしい。
これができる石田はやっぱりすごい。余裕があるね。これは経験があるからできる離れ業なんだよね。(年齢差も今はいい方向で作用しているみたいだ。東尾も結局は狭い世界でしか生きていないので、大海に出ることがあれば気持ちの変化が多少は起こるだろう。その時、2人はどこまでがまんできるか?それは、コアの部分でどういうつながりをしているかに拠るんだよねえ~・・・)
面倒くさがらずに、愛を形にして示す努力をする必要はあるよ。何度でもね。
わかっちゃいるんだけどね・・・・
努力せねばならんね・・・

深夜、BS2では「五線譜のラブレター」をやっていた。こういう映画が作れるのもすばらしいね。アシュレイ・ジャッドの演技というか、ほのかに美しいね。内面から出てくる美しさを感じるね。
[PR]
by worsyu | 2009-09-30 15:19 | ひまネタ | Comments(0)

新聞を嗤う。

TVまでならまだしも、新聞の論調までも何だか幼稚で、最近は嗤うことが多くなった。
鳩山首相の論文がニューヨークタイムズの電子版に掲載され、アメリカに批判的な論調であったことを問題視し、多くのマスゴミが騒いだ。また、新政権誕生後、岡田外相が対等な日米関係を論じたことに対しても、多くのマスゴミや外務省、「大人」の自民党などから、「不敬罪」になるとして、岡田外相も鳩山首相も門前払いを受け、大恥をかくだろうと予想していた。
そして、その瞬間を固唾を呑んで待つという大恥をかいてしまった。身内である首相の揚げ足取りに躍起になっているとは、何とも、まあ、情けない話なのだが。
ところが、ふたを開けてみたら、全く逆の結果となった。
クリントン国務長官と岡田外相は笑顔で握手し、並んで写真に納まった。クリントン氏はインド洋での給油活動の停止を容認した。
鳩山首相は就任早々に米大統領との会談が実現、というかつてない快挙を果たし、信頼関係の構築を演じて見せた。
なぜ、こうなってしまったのだろうか?というか、日本のマスゴミはなぜこんなにバカばっかりなのだろうか?
多くの識者が言うように、アメリカはすでに多極化へ向けて進み出しているということだ。アメリカの世界戦略が変化してきているのに、未だにアメリカ妄信者が日本にいて、あがめ奉っている。(日本企業の多くは多様化する価値観や多極化した社会を生き抜いてきており、一方の政治面では、これまでがあまりにも幼稚すぎたといえるだろう。)
読売、フジサンケイは、今回の件で朝日、毎日との対比を見る限りで対米従属&保守色を鮮明に打ち出したといえる。アメリカのご機嫌をとっているつもりが、実はアメリカは、その代替である要求に応える経済力も軍事力も政治力もなくなっていて、むしろ、日本に助けて欲しい、とすら言っているのだ。そのためなら何でも認める、と。そこまでアメリカ経済という砂上の楼閣が波に打ち消されようとしているのに。彼らには、その影しか見えないのだろうか?
民主党が次回、下野するとすれば、おそらく、スキャンダルだろうが、それを引き当てようとこれからも血眼になって探すことになるのだろう。まるで大衆誌の芸能記者みたいに。
ところで、自民党とはいったい何だったんだろうか?官僚のご機嫌を取り、財界のご機嫌を取り、アメリカのご機嫌を取り、地方のご機嫌を取り、中国のご機嫌も取って、政権政党という地位を守るためにパフォーマンスをしていた政治芸に長けた人たちだったんだろうか。
彼らは時代を読み違えた。これからは、頑固一徹な保守政治に寄るか、それとも、民主党の2番煎じで、失態を待つダミー政党となるのか・・・

読売やフジがこのまま保守色を維持していくとすれば、それは、国民にそういった旧社会体制=保守を好む人の支持がまだまだあるということだ。しかし、現実には、そうした人は少なく、論陣を張っていた人たちは駆逐されていくだろう。世間の風を見ながら、短期間の間にこの2誌は転向するのだろう。
せめて健全な保守系論陣を張るにしても、もう少し勉強してからやってもらいたいものである。その気概もないだろうが・・・
[PR]
by worsyu | 2009-09-28 13:56 | 時事ネタ | Comments(0)

サッカーを楽しもう

こういう言い方をすると反感を買うかも知れないが、そろそろ太鼓を叩く応援を控えたらどうだろうか、と、最近思う。
もう、サッカーの楽しみ方を覚えた人も多いと思うし、バスケットみたいに常に点が入り続ける躁状態になるわけでもないし。
90分間、ハイな状態でいられるほど、若くないし、バカでもないし。
一旦、音なしで応援を始めたら、どこで、盛り上がり、どこで歌を歌っていいかわからなくなる。もしかしたら、何も歌えず、盛り上がらないまま試合が終わってしまうかもしれない。しかし、それもサッカーではないだろうか。
緊張感のある、試合を堪能する心の余裕がそろそろ出てきてもいいのではないか?
相手チームが大声を上げるから、太鼓を叩くから、こっちも負けないくらいの大きな音で対抗するというのは、どうだか。ゴール裏で声を出している方はそれはそれでいいと思うが、太鼓は必要ないのでは?これからは、却って太鼓の音が迷惑になる時が来ると思うよ。今すぐではないにせよ、ね。たとえば、指揮杖のような長い棒でもできるんじゃないか?

応援拒否というわけではなく、試合中は、ポイントを押さえて、効果的な盛り上がりで士気を高める。
これが結構難しい。試合の流れを読んで後押しする応援。強弱を付けて試合を支配する応援。
まあ、あの応援が楽しかったわけなんだけどね。一時期。それも過去の話になりつつある。
常に物事は流れるということですね。昨日まで美しかったもの、楽しかったものが、今日には醜く、辛いものになってしまう。人間の感情は移ろい易いものです。
まあ、独り言ですけどね。

組織的な応援もすばらしいけど、やりすぎはどうだろうか。野球の応援の延長みたいなのは嫌だね。
大分の応援にはいいものがある。これをもっとすばらしいものに育て上げたいね。冒険することで幅が広がり、方向性も見えてくる。10年、20年続けられる応援形式の棲み分けと進化が大分で始まってもいいかな、と。

ところで、OITAってアルファベットはいいよね。4文字はなかなかないんだよ。格好いいと思う。ゴシックパンク調にアレンジしてTシャツに載せたいなあ。
[PR]
by worsyu | 2009-09-25 12:49 | ひまネタ | Comments(1)

毒まんじゅう

城島から、湯布院を経由して玖珠を通って宇佐までドライブしてきた。反対方向はものすごい渋滞だった。帰り道のコースも混まないように考えた。
玖珠町にできた見事な道を走りながら、これは征士郎道路なのか?それとも自衛隊様道路なのか?と考えた。
そして、今問題になっている沖縄の米軍海兵隊の普天間基地移転候補に日出生台も上がっていることを思い起こした。どうなるかはわからないが、当然、地元住民は反対するだろうし、運動も起きるだろう。しかし、反面、その分の見返りも大きい。経済援助が受けられるのは、結構魅力的ではある。
毒まんじゅうという言葉がある。これは、昔、家康が秀頼を暗殺しようとして、毒入りのまんじゅうを勧め、加藤清正がそれを横から食らい、その後、死んだという話から来ている。実際、どうだったかはわからないが、歌舞伎として演じられることで一般に知られるようになる。政治的な駆け引きの際の言葉として使われることが多い。
さあ、これを食らうか、どうか。うまく食う人、下手な人との差はどこで現れるのか。
トリニータの問題もこれとダブって見える。お互いにギブ&テイク。需要と供給の原理の下で行われている。決して慈善活動ではない。
毒まんじゅうを食らっても、毒に犯されず、健康体のままでいられるためには、われわれが浄化すればいいのだ。浄化する力があれば毒は体に回らず、以前にも増して力が付くことだろう。

ところで、このブログも毎回、毒まんじゅう攻撃に晒されている。どうせ、あそこのサポの嫌がらせだと思うが、私に毒は回っていない。至って健康そのものだ。
結構、おいしいもんだよ。
[PR]
by worsyu | 2009-09-21 23:15 | 地域ネタ | Comments(0)

前へ出た勇気

のりPこと酒井法子被告が保釈されて、会見を行っていた。
女優としての演技には取り立てて見るべきものはなかったが、こういう時に踏ん張れる力というのは、金賢姫と同等のオーラ(すごみ)を感じる。
大逆転ホームランをバックスクリーンに打ち返した、ような、大芝居をやってのけた。
彼女の涙に共感し、もらい泣きした人も多いと思う。しかし・・田代まさしの自分のだらしなさをあからさまに見せて、見苦しいながらも人間の業の悲しさとおかしみを表したものとは全く違ったものだ。田代は芸能界に戻ることは難しいだろうが、人間的な弱さを表現することによって、正当な一般人になろうとしている。彼女の場合はその逆だ。
計算づくした上での演出と演技。明らかに芸能界復帰のための宣言だったように見えた。
芸能界での本音と建前が、マスゴミの中での本音と建前に混同されて見えるのは、日本のジャーナリズムの退化を表しているようだ。
美しいものが善で醜いものが悪という感覚-勧善懲悪は程度が低い。しかし、芸能界-TVメディアの中で生きていくためには、美と腰の低さは必要条件なのだ。たとえ、それが一過性のポーズに過ぎないとしても、民衆から同情を得ることで、情状酌量の余地を得ることが出来る。
真実がどうのこうのということはどうでもいいのだ。印象なのだ。

トリニータのサポーターによる弾幕問題も、善悪の判断は、この際、どうでもいいのだ。
「トリサポは一歩踏み出した」と言った意味は、傍観者じゃない、サポーターとして言うべきことは言うということを示したということなのだ。それが正しいとか、間違っているとか、そんなことはどうでもいいのだ。
文言は決して高尚なものではない。拙い。だから良いのだ。今回の弾幕に必要だったのは、感情の吐露だったわけで、理屈やら格好をつけていたら、返って崩壊を招いていただろう。

バカを貫いたトリサポたちはやはりすごいということだ。

私は、彼らと同じ意見というわけではないが、彼らの行為は決して無駄ではなかったと思う。
彼らを誇りに思う。

笑う人は笑っていればいい。しかし、非難するべきではない。
[PR]
by worsyu | 2009-09-18 17:54 | 地域ネタ | Comments(0)

チャレンジする気持ち

9.11から10年。リーマンショックから1年が経った。ウォール街では、再びトレーダーたちが戻ってきて、バカ高いシャンパンやワインを酌み交わす場面が多くなったという。アメリカという国の連中は、保険よりも、チャンスを求めてリスクを抱えることで勝負しているのだ。他人よりもいい暮らしをしたい。金を稼ぎたい。もちろん、トレーダーたちのやっていることは、守銭奴であり、金が金を生むギャンブルをやっているようなものなのだが、法律に違反しているわけではない。資本主義の社会では、成長の見込みのある企業は社会から資金を調達してより大きな事業にチャレンジする。その金がどんな金だろうと知ったことではない。ましてや、法律に違反しているわけでもない。せいぜい規制がかかるくらいだ。
中国では、彼らアメリカのトレーダーたちに憧れて、彼らが著した書物を買いあさって、トレードしているようである。拝金主義の横行が社会問題になりつつあるが、もう、彼らをとめることはできないだろう。
世界経済は、ようやく底を打ったといわれているが、果たしてそうだろうか。私は、2番底が来ると思っているうちの一人だ。実体経済に及ぼす影響は時間差がある。そして、胎動のように、社会を揺るがす。100年に一度という信用破壊は、短期的にはドルの急落によって安定するだろう。しかし、その後には、莫大なドル建ての借金が膨れ上がるのであり、その後始末を日本もすることになるのだろうか?

ビッグアイ、大分トリニータというのは、シーズ(種)なのだ。ニーズがあったわけではない。芽を出し、根を張って、葉を出し、丈が伸びていき、枝が伸び、木となった。これが、巨木となり、林を作り、森を形成するためには、まだまだ長い月日と計画的な手入れが必要だ。(神宮の森は人の手で造られた。役割を終えた木は死に、次の木にバトンタッチしていく。松から杉、ヒノキ、そして広葉樹林へ。同じことなのではないか?)
需要と供給の法則はいかなる状況においても貫徹する。大分にトリサポがある限り、大分トリニータはなくならないだろう。ここまで育て上げられたのはトリサポの力があってこそだ。サッカーではサポーターの存在が無いところにはサッカーが育たない。
ゴール裏サポが出した弾幕による抗議は、それはそれでいいと思う。きれいごとを言っている場合じゃないということだ。言わないよりは言った方がいい(ただし、蔑称は良くないか。言葉の暴力はほどほどに。行き過ぎはあった、と言える。)。それは、クラブ側に対する挑戦なのだ。クラブ側は、結果で答えればいいことだ。

トリサポはまた一歩踏み出したということだ。

さあ、みんなで森を造ろう。
[PR]
by worsyu | 2009-09-15 13:29 | 地域ネタ | Comments(0)

決してマネしないように

1失点目:目の前でやっちゃいかんだろ。赤が出なくて助かった。ってか、ここはJリーグじゃないっちゅうに。日本の審判なら流すね。情けないけど。
2失点目:中沢、あれはないわ。中に通されちゃおしまいだよ。信じられんくらい、甘い。今後、相手にとっては狙い処だね。
3失点目:あのGK。いつもの出すぎ、中途半端。っちゅうか、トラップで抜かれてやんの。まるで中学のサッカーみたいだったね。レベル低っ!
よいこのみんなはこれを見て、決してマネをしないように。いい勉強になったね。

1得点目:ケンゴは左足で決めた。よく走りこんだね。クリーンじゃなかったけど、下手なりにコントロールできたね。
2得点目:あの角度は本当に世界クラス。自信持っているね。本当の左の振りぬきだった。見事。
3得点目:岡崎の抜け出しに合わせた稲本見事。でも、この頃には相手が終わっていたけど。
4得点目:稲本は、やっぱ持っているね、と思わせる。決め所のシュートだった。もちろん、相手はもう動いていなかったけど。

ガーナの選手をコーチングしたくなった人、多いと思う。伸びシロがいっぱいある。あの闘い方はもったいない。
ガーナの失速をもたらしたのは、日本のがんばりだったのだけど、親善試合じゃなかったら、3-1で終わっている試合だったね。
日本の失点は全てミスから。そして、カウンターへの対処が出来ていないということ。足が遅い中沢やすぐに上がりたがるトゥーリオがセンターだったら、そこで勝負してみたくなるわなあ~。

ここに、周作がいても、森重がいても、また、本田の代わりに夢生がいたとしても、そんなに違和感がない。代表ったってこの程度。
違うのは、J1でネームバリューのあるチームで結果が出ているというだけ。ということは・・・?
[PR]
by worsyu | 2009-09-10 12:57 | サッカー | Comments(0)

スイーツの旅へ

ロールケーキ発祥の地なんだそうです。まあ、そんなことはどうでもいいくらい(失礼)、おいしいです。
ドラゴンロール。
知っている人は知っていると思うけど、知らない人のために。一応。
ドラゴンロールにナイフを入れる時に注意してもらいたいのは、生地(スポンジ)がやわらかいので、乾いたナイフを入れると崩してしまうことです。もちろん、崩れてもおいしさに変わりはありませんが。ちなみに、私は、ナイフを湿らせて切るようにしています。同様にケーキを切るときはケーキ用のナイフであろうと、湿らせた布巾を使っています。
一口、口の中に入れると、その柔らかさに驚きます。生クリームがそれほど多いというわけでもないのに、口の中で生地(スポンジ)とほどよくなじみます。生地(スポンジ)が柔らかいからでしょう。この食感に驚く。
もちろん、おいしい。しつこさがない。甘すぎず、脂っぽくもなく。上品なおいしさだ。この技術はすごいと思う。洗練され、熟成された完成形を見る思いがする。
別府は、瀬戸内海に面し、温泉地であるため、特に関西からの客が多いことから、こうした文化ができたのだろうか?私の思い込みかもしれないが。別府は老舗の質が高い。客の質が高いからだろうか。客の質の高さが需要の高さを呼び、畢竟、供給側の質が上がるのだ。
「ニュードラゴン」
発祥の地と言うだけのことはある。

ヤマト運輸のお取り寄せサービスが開始されるという噂も聞くので、そうなったら、遠方の方もぜひご賞味してみてはいかがだろうか?
[PR]
by worsyu | 2009-09-08 10:36 | 地域ネタ | Comments(0)

考え方が違う

オランダ戦を前に、日本が大敗すれば少しは方向性の間違いに気付くかな?と思っていたが、そうでもないらしい。
結果は0-3の完敗。
私は、以前から、走り回り、無駄走りをし、後半失速するサッカーが嫌いだ、と言ってきた。むしろ、走らないサッカーの方が日本には合っている気がしている。
オランダ戦で前半は飛ばしていた。アウェイなので、先取点を取って、有利に試合を進めたかったのだろう。行き当たりばったりの「真珠湾攻撃」-。しかし、オランダはゴールを割らせなかった。また、たとえ、1点取れたにしても、おそらく、前回のW杯の豪州戦のようになっただろう、と予想される。つまり、勝負をしていない。勝つためのシナリオが稚拙なのだ。
世界陸上で、日本人がメダルに届いたのは、男子槍投げ、女子マラソン。女子マラソン団体、男子マラソン団体。入賞は男子100X4リレーだったかな?この中で、マラソンと短距離は意外と健闘していることに気がつく。つまり、科学的な研究が進んでいる日本では、長距離ではいかにして体力を温存して無駄な体力を浪費しないかという研究が進んでいるということだ。逆に、短距離では、短い時間でどれだけ効率的にエネルギーを消費してそれを効果的にスピードに結びつけるかという研究も進んでいるということだ。
ここから導き出される結論は、無駄走りをしたら世界と競えないということ。次に、短い距離-空間なら1対1でも勝負できるということ、だ。
パスをつないで相手を崩し、空間に走りこんで決めるという戦法は、日本人に対する、ある偏見-誤解から生じている気がする。日本人はサッカーが下手だ。後進国だ。だから、1対1では勝負できない。一人一人の能力が低いのだから、組織で闘うしかない。幸い、日本人は器用だ。中央を破ることは難しいのでサイドから崩していく・・・・
私は、いかに無駄走りを抑えて、体力を温存し、流れを読んで勝負処で集中してプレイするようにする方がいいと思っている。そのためには、守備なのだ。鉄壁の守備が完成すれば、体力が温存できる。攻撃するよりも守っているほうが疲れないからだ。
オランダは、守備を固めていた。日本が疲れるのを待っていた。もちろん、攻めることを放棄しているわけではない。彼らは無駄走りをしなかった。体力を温存していたのだ。そして、日本の攻撃パターンを読み、カウンターを何度も仕掛けていた。
カウンターサッカーは面白くないという人は、W杯で上位に進むなんてことは夢のまた夢。世界のサッカーからは置いていかれるだろう。
何度も言っていることだが、サッカーは2対1の状況をどれだけ作れるかで決まるのだ。日本はパスでつなぐことに固執してスピードを殺していた。せっかくのスピードを殺してしまう以上、狭いスペースしかない。もっと単純でいいんじゃないか?
1点目が入ってからの雰囲気は、このままだと、どんどん何点も入るだろうと思った。大分で見ていた人は、私と同じ感想を持ったのではないか?実際、2点目、3点目が入った。大分で0-3というスコアを出したら、大変なことになるが、日本代表なら大丈夫らしい。
方向性は間違っていない、この戦法でしか、日本は生きていけない、というのか?違うよね。私は違うと思う。
もっと、科学的な解析と戦術をもって世界と勝負して欲しい。まっ、日本代表なんてどうでもいいんだけど・・

(P.S シャムスカは日本サッカー飛躍の処方箋を掴みかけたんだと思う節がある。私と考えは一緒だと思う。
それじゃあ、なぜ、今年はだめだったかって?
一番の要因は、やっぱりFW力ということに尽きるだろう。残念ながらJリーグでは、外人FWの出来不出来で順位が決まってしまう。単純な話だ。引退前のウェズレイが最後の瞬きのように輝いてくれたから去年の好成績が生まれたのだ。もちろん、それを支え、機能させた大海、森重、深谷の3バックとホベ、エジのボランチの鉄壁の守備があってのことなのだが・・・今年のウェズレイはローソクの火が消えるように次第に輝きを無くしていった。無理もない。私は以前、あまり期待するな、と忠告したはずだ。広島がなぜ降格したかについて語った時に。)
[PR]
by worsyu | 2009-09-07 11:23 | サッカー | Comments(0)

穢れごっこ

うなぎという映画がある。今村昌平監督。主演:役所広司、清水美沙。役所演じる男は、郊外から都心に通うまじめ以外に何のとりえもないサラリーマンだ。あるとき、投書で妻の浮気を知り、確認のために夜釣りから返ってくる。情事を目の当たりにし、逆上した男は、妻をめった刺しにして殺してしまう。その足で警察に自首する。刑期を終え、出所する。その時に渡されたものがうなぎだった。これは、彼が飼っていたもので、うなぎだけが自分の心を判ってくれるというのだ。
彼は刑期中に理容師の免許を取ったので、理髪店を始めることになる。その後、清水美沙が自殺未遂をしたところを助け、2人は、お互いの事情を深く知ろうとしないまま、恋心を抱きながらも奇妙な生活が始まるのだ。

菊地選手がトリニータに入団した。私は、彼のことはよく知らない。もちろん、彼の犯した罪のことは知っているつもりだ。しかし、問題は今、だ。過去のこだわりすぎるのはいけない。日本人は潔癖症というか、穢れを嫌う。みそぎという風習が古くからあるように、それは、一種の負の幻想-シャーマニズムなのだ。これを利用して古くは権力者が支配の道具とした。
罪は人為的なものなので、償えば消える。しかし、穢れは、その人が属する共同体も汚すと信じられた。死、疫病、出産、月経、犯罪・・・。
我々はもう一度、整理して考えるべきだ。まず、神道では、死や血を穢れとするが仏教やその他の宗教では、死を穢れとはみなさない。清めの塩とは仏教ではない。忌中とは、死者とその家族が神域に入れないことを意味する。
神社で手水をするのは外界の穢れをはらうものだ。
この穢れとは精神的なもの-幻想でしかない。みそぎをすればいいわけだ。
いわゆる、エンガチョすればいいのだ。
穢れとは何か?これは、日本人の偏狭さを示すものだ。なぜなら、強者に対しては使われないからだ。弱者がより弱者をいじめる時に使われるものだからだ。
ネチゴミらが騒いでいるのも、弱者いじめが面白いからやっているだけだ。
結構、教養のある方までもが、この因習というかシャーマニズムに囚われている。しっかりして欲しい。
ましてや、恥じることなど何も無い。
[PR]
by worsyu | 2009-09-02 14:17 | ひまネタ | Comments(1)