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国東の珍(ちん)百景

イギリス人はどうやら権威を持つと像を作りたくなるみたいだ。
ロンドンにあるマダム・タッソーの蝋人形館が有名なところだ。

功利主義で有名なベンサムは、死後、自分の体を防腐処理して展示して欲しいと言ったそうだ。実際に、ロンドン大学に今も展示されているそうで、イギリス人の自己顕示欲は並大抵なものではないらしい。
しかし、学生たちが、その頭部をいたずらでぐちゃぐちゃにしてしまったため、現在は、蝋で作られた頭部が乗っかっているらしいが。
なかなか、ロンドンの学生もやることがエグイ。

ブラックなユーモア大歓迎のお国柄なのである。


それにしても、六郷満山会が「多くの人に見せたいなら別の場所。多くの人が見られる場所が良いのでは?」とコメントしているのには笑ってしまった。
これは、彼らなりのブラックジョークなのかもしれない。
なかなかやるではないか・・・・


まあ、久しぶりに笑える出来事ではある。これから、あの裸体を仰ぎ見て、両手でも合わせて拝むのかい?そりゃあない。
はやいところ下半身を布で被せて隠してやって欲しいものだ。ただし、それでは誰も芸術作品だとは思わないだろうが。

日本珍(ちん)百景に登録確定だね。ただし、テレビでは紹介できないかも・・・・あっボカシを入れたら大丈夫だ!!


設置写真だけで十分だ。わざわざ見に行くほど私の品性は下劣ではない。
像が撤去されるまで国東には近寄らないつもりだ。







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by worsyu | 2014-02-25 18:01 | 地域ネタ | Comments(0)

ARTの暴力

アート、特に現代アートとは何かという根源的な問題を我々に突きつけられた思いがする、今回の事件。
作家本人の裸体をそのまま型取り、鉄を流し込んでできたものなどが本当に芸術と呼べるものなのか?

かつて、アートと我々が呼んでいるものは、常に、時代に先駆けていたし、大衆を向いた自由や思いを志向していたように思う。そこには、確かに「美」というものが存在した。

典型的な例が、マネの「オランピア」だろう。当時のフランスの宮廷画壇との対決を明確に示した作品であり、印象派の産声が上がった代表作品である。
そこに描かれている女性は、娼婦である。当時のモラルを破壊するセンセーショナルな作品であっただろう。黒人の下女と黒猫が傍らに描かれている。現在、オルセー美術館で展示されている。
ここには、日本の浮世絵の影響と同時に、江戸時代の日本の大衆文化やその欲望と発露と作品の関係性などが見て取れる。一般庶民の女性の裸体を描くことはタブーではなくなったのだ。一方、日本においては、戯画としての自由はあったが、そこに到達するには、まだ時間が掛かった。

しかし、現代アートと呼ばれるものは、タブーを壊すことのみが目的化されていて、美の追求を停止か、無視しているように思える。ほとんど意図的に醜いもの、無価値なものを提示して、これが芸術の最先端だと言わんばかりである。

これらの運動は、大衆には擦り寄らない。上から見下ろすように、暴力的(神の啓示がごとく無神経)に我々のモラルを壊してしまう。

かつて、マスコミが権力を持ち、社会のモラルを壊していったように、今やネットが制限の無いモラル破壊を実践している。それを上手く操作できる者が権力を得る社会となったのだ。


アートは、庶民の美的感覚を無視する。景観を壊し、伝統的な慣習や民俗的な行いを壊す。それこそが目的と化しているのが現状だ。
パフォーマンスとしてのアートは、そうした問題提起をすることで社会に波紋を作り、社会を見直すきっかけとなることがある。
ただし、それはパフォーマンスとしてであり、作品としての価値は無いに等しい。


もし、国東の千燈地区にその銅像が建ったとしたら、その地域は、モラルハザードを許した地域として、一般の外部の人間は近寄らなくなるだろう。少なくともロングトレイルのコースとしては最悪の状況となるだろう。悪趣味の方は別にして。
それは、大衆の美的価値が権威の美的価値に負けた象徴として、「国東の恥辱」の文化財として鎮座することになるだろう。


アントニー・ゴームリー氏の裸体を見て何を感じよというのだろうか?
ダビデ像のごとく崇められたいのだろうか?
そこにはイギリスのユーモアしか見出せない。
つまり、文化的に未熟な人々-異教徒たちがイギリス人(ヨーロッパ)に憧れている様を、そして、権威にひれ伏した姿を表現したかったのだろう。
ネットではそう取られるだろう。

私は断固設置反対である。

 

 


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by worsyu | 2014-02-19 11:24 | 地域ネタ | Comments(0)

国東峯道に巨大人物像永久設置だあぁっ?!

去年の晩秋の頃。国東の文殊仙寺を訪れた。車で山を分け入り、着いたのは夕方の5時前。日暮れ前で夕闇が迫る頃合。人も少なかったが、丁度、護摩祈祷をやっていた。たまたま間に合って、まあ、ありがたいことだった。こういう真面目な寺を見ると、ありがたいと思うものだ。しかし、それだからといって、過度な信心や宗教的な思い入れは何も無いわけなのだが。

境内を廻りながら、鐘楼の先の宝筺印塔から、遠く、四国を眺めることができる。絶景である。

さて、最近、「国東アートプロジェクト」なるものが近々開かれるという噂を聞いていた。正直言って近代アートなるものにどこまで価値を見出すかどうかは、私自身、疑問符が付く。ポップカルチャーの方がまだ理解できる。美的な感覚で判断できるからだ。しかし、アートとなると哲学的な嗜好性が入り込むのだ。ほとんど思考の迷路の中でもがいている様はとても美的とは形容できない。醜ささえ感じることもある。

そこで修験者たちからクレームが起きたらしい。
どうやら千燈エリアにイギリス人彫刻家アントニー・ゴームリー氏の人体像作品を永久設置するという計画が突如浮上したのだ。

冗談じゃない。これは暴挙だろう。アートという名を借りた文化の破壊だね。


文殊仙寺の説明板にも書かれていたが、千燈寺は、大友宗麟によって焼き払われているのだ。400年以上前の話だが。(その時思ったのは、大分市の人たちは宗麟を讃えることばかりやっているが、宗教弾圧をしたことを忘れてはいけないということだ。そして、この国東の地はそういう意味では欧州文化の暴力を過去において受けた地であるということなのだ。)その後、明治維新の時にも、廃仏毀釈で多くの寺院の仏像、石像が壊されている。多くの苦難を経て、1300年余りの歴史をこの国東の地で育み守ってきた。それは、人々の思いであり、もはや、地や肉と化していると言っていいだろう。習慣として生活の一部となっているものだ。

そこに、作家自身をかたどった像を永久設置するなど、とても、信じられない。なぜ、こんな暴挙が思いつくのだろうか?そして、それが許され、そして、大金を出して設置しようとしているのか?

普通の感覚ではない人たちと思われる。でも、同じ日本人であり、大分県人がそれをやろうとしている。


私は以前、法則-教義として2つ示した。
一つは、需要と供給の法則はあらゆる場面において貫徹する。もう一つは、役人の言うことを信じるバカは、民衆に大罪を犯す(大借金を負わせる)、ということだ。


イギリス人に聞いてみるがいい。セブンシスターズに仏像を建ててもいいか?と。


こういう当たり前のことがわからない。話し合う必要も無いし意味も無い。コモンセンスだよ。常識以前の問題だ。
なぜ分からないか。もう、計画が進んでしまっているからだ。権力で押し通そうとしている。ブレーキの無い自動車に乗っているのだ。
本来、役人の暴走を止めるのが政治家の役割なのに、そんな政治家は日本中どこを探したって居やしない。大分では話し合おうだとか、議論することは良い事だとか言ってごまかすことしかしない。逃げているだけ。常識人のふりをして、実際は票が逃げるのが怖いだけ。非常識人であることを宣言しているだけ。(青島都知事くらいかな・・・でも、東京ならば何やったって平気だろうけどね。ゴミの島なんだから。)


折衷案で、素材を換えて半年の期間設定にするとか、設置場所を変えるとか、考えられるが、それでは却って作家に失礼だろう。

ここは、作家のゴームリー氏にしっかり説明して諦めてもらうことが一番いい。
バカな役人がやらかした不祥事は、市民が誠意を持って説明して始末するしかない。
イギリス本土にも事情を説明して、同意を得ることも必要だと思う。

絶対に設置させてはいけない。

ロングトレイル協会もあやふやな態度でいる。そりゃそうだろう。でも、ここは、騙されたということを全面に出せば理が通るはずだ。それとも、知っていたとしたらこれは罪だねぇ・・・・

しかし、国東って何考えてるんだか・・・・・と言いたくなる。



I only make that recent modern art destroys the existing culture and history a purpose and want many people to know that it is the exercise that there is not of most value.
Mr. Antony Mark David Gormley of the British sculptor is going to install the huge iron image which modelled one's naked body in the kunisaki City Oita Prefecture of Japan.
I object.
The plan is already authorized, and the foundation work is over.
However, I was informed of the talk set up permanently suddenly.
At the place where the mountains of nature range, a lot of temples of the Buddhism exist there. For more than 1,300 years, I brought up Buddhism culture with nature. 400 years ago, I am sacrificed for the Christianity propagation, and a temple burnt down exists. In addition, 200 years ago, religion oppression was carried out by power of the government for European culture introduction.
Do not disturb this rich nature and culture.
I want you to agree that you build the alien substance which is not good for this splendid scene and want you to give an opposite voice.
I want many people to know it.





 

 


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by worsyu | 2014-02-14 17:53 | 地域ネタ | Comments(1)

風間がやってくる

風間宏矢(こうや)が大分にやってくる。完全移籍でだ。ちょっと、これはニュースである。
最後にきて、なかなかうれしいニュースである。

風間さんと言えば、我がサッカーの師というか、同氏の解説本にはお世話になりました。まともな解説者であった。現在は川崎の監督だけどね。

その次男がやってくるのだ。まあ、長男よりはやると思うよ。セレッソの柿谷くらいの活躍を期待したいところか。スピードと上手さとアシスト力を期待したいね。比較的身体もあるので、競り合いやポストプレイにも期待したい。周りを活かすプレイができるので、その辺りも期待したいね。


さて、トリニータは20周年のアニバサリーである。ロゴがかっこいいね。このフレアがやっぱりいい。青のトルネード柄も上品でいいよね。このデザイン力が何故かアパレルグッズに活かされない。もっと大胆にフレア柄を入れて欲しいね。現状のアパレルグッズはちょっと子どもっぽくてダサイ。大人も楽しめるものを作って欲しい。デザイナーなら大分市にいっぱいいるし、学生も入れたらかなりの数になる。一般公募したほうが、ましなものができるといつも思うのだがね・・・・・

 

大銀ドームで「風間」の名前が呼ばれる。何だかうれしいね。
活躍できると思うよ。本人次第だけどね。後は、周りとの意志の疎通かな。シンプルでいいと思うよ。



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by worsyu | 2014-02-13 11:35 | サッカー | Comments(0)

暗闇に導かれたシンフォニー

希望のシンフォニーと呼ばれていた。
なぜ、そんなものに飛びついたのか?それは、何かにすがりたかったのだろうし、物語が欲しかったのだろう。

東日本大震災は、日本をすごく感傷的な雰囲気にさせてしまった。それを助長したのがマスコミによる大宣伝だ。国中が物語りを求めて、復活の旗印を探しまくったのだ。
AKBの指原がトップを取ったのも、その物語性に時代が上手く乗っかったからの結果だろう。
同様に大分トリニータのJ1復帰もその時代の流れに乗っかった部分も多少あっただろう。

東北では、特にそうした感傷主義が蔓延しており、その空気は東京及び首都圏までを覆いつくしていたと言える。

大分に住んでいると、感傷主義に浸っている東日本の社会の状況が異様に思えるのだが、実際に経験し、そこから逃れたいと思っている人や、不安を抱える人にとってみたら、何でもいいからすがりたい気分の方が勝るのだろう。

「Hiroshima」はyoutubeで去年聴いたし、TVでも盛んに取り上げられていた。「現代のベートーベン」「盲目の天才」「奇跡のシンフォニー」「魂の旋律」とか。安直なコピー文字が躍りまくっていた。曲の方は、マーラーを基本に近代音楽の巨匠たちのパクリ(オマージュ?とは言えない)だらけ。全体としては薄っぺらな感動の押し売りを狙った曲である。
逆に、これくらいのシンフォニーなら、音楽をやっている多くの日本人なら簡単に作ってしまうくらいの曲だ。オリジナリティーの無い、ただ、上手さだけが耳に残る。狡猾ささえ感じる。何で、こんなものに魂を売るのか私には理解できなかった。

こうした、マスコミによる捏造の暴露は決して悪いことではない。「感動を返してくれ」という人は多いと思う。詐欺とはそういうものだ。それに加担したマスコミの責任は大きい。特にNHKは権威の失墜を免れないだろう。そもそもNHKを特別視していたこと自体がおかしいのであって、過度に信じてしまえば騙されるという、いい経験になったのではないか。

幸い、大分ではコンサートが開かれなかった。しかし、CDを買われた方は多いと思う。ご愁傷さまである。

フィギュアスケートの高橋大輔選手はSPで同氏の曲を使っている。辞めた方がいいと思う。恥の上塗りになる。メダルを狙っていないのならいいが、応援しているおばちゃんたちの名誉のためにも曲を変えたほうがいいだろうし、見識を疑われることになる。

作曲家に物語を作って売り出すのは昔からよくある話だ。しかし、貧乏人が宮廷音楽を作ることもできるし、大金持ちの名家の出の人が演歌を作ることもありうる。今や、音楽は技術と理論とセンスがあれば、その人間の出所などはどうでもよいことなのだ。基本ができたら、後は編曲してもらえばいい。それでどうにでもなる。そこにおけるオリジナリティーと出来上がった曲の評価は、専門家さえわからないのだ。ましてや、一般の人は、感覚を研ぎ澄まして、自分の嗜好に合致するもの以外は評価しないという鉄則を立てていなければ、こういった詐欺に会うことは避けられないだろう。

最終的に暗闇に導かれてしまったシンフォニー。正しい位置に戻ったのだろう。
これは、悪いことではない。

 

 オウム真理教の事件も、教祖が弱視であるということで、真実を見る目に霞が掛かってしまったごとく、今回も同じく弱者の衣を着た詐欺師に引っかかったわけだ。

多くの人間がこの詐欺に関わっていることを明らかにして欲しいし、責任を追及することは必要だろう。

これは映画にしたい題材である。日本人に特に顕著であり、特有な「弱者のエゴ」がどこまでも通っていく喜劇。そして悲劇である。



 


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by worsyu | 2014-02-06 10:32 | 芸能ネタ | Comments(0)