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シャムスカ解任の報に接し

私ごとで何かと忙しかったので、ここへの書き込みも無いまま、随分放置してしまいました。
山口俊のまま、というのもちょっと情けないので。
ただ、あまり、書きたい、という衝動を受けなかったというのもあるのだが・・・

シャムスカが解任された。よそ事ではあるが、ちょっと悲しいね。再会するのを楽しみにしていたトリサポはいっぱい居たと思う。ジュビロ戦は、勝敗は別にして、英雄の帰還を一目見ようと集まっていただろうに。その願いも消えたね。

ジュビロがおかしくなっていたのは感じていた。私が、指摘していたのは、GKの質だった。磐田、岡山はちょっとGKに難ありと・・・それから、後半に入っての気力の無さも以前から気になっていた。年寄が多すぎ?

湘南が早くも昇格を決めた。優勝も時間の問題だ。しかし、このレース、優勝はあまり意味が無い。J1でどれだけ戦えるかだ。そして、その資格があるのは、2位まで。そして、残り1席をめぐって、3位~6位がトーナメントで奪い合うプレイオフがある。

磐田はショック療法で雰囲気を変えようとしているのだ。このプレッシャーに動かざるを得なかったのだ。新監督の名波は3位を維持できることはできるが、それまでだろう。本人もそれで十分だし、クラブもそれ以上は望んでいないだろう。(クラブ側は大分の影におびえたのかもしれないし、原点回帰で楽しいクラブ-身内で和気あいあい路線への転換を目指しているのかもしれないし・・・?)

北九州、岡山は、プレッシャーでプレイが固くなるだろう。少しずつ落ちていくと思われる。

大分と千葉は上がると思う。特に千葉は強敵だ。意識せざるを得ない。どちらが上位になっても、闘いたくない相手だ。磐田の方がまだいいとさえ言える。

大分は戦力の整備が進み、J1に対応できる布陣ができつつある。ただ、守備の部分で不安があったし、仮にもし、昇格できたとしても、センターラインの核となる選手の補強が必要であろう。外国人選手もどこまで当てにできるかわからない。ラドンチッチはどこか信用できない部分がある。チームとしての成熟度に欠ける部分もある。勝ち方、試合の納め方が未熟。
今年のチームは勢いが無い。熱さが無い。ミラクルを起こしそうな雰囲気は無い。でも、だからこそ、力で上がって欲しいと思うね。

北九州や岡山の人から見たら、何をほざいているのか?と言われそうだが、問題は千葉であり、磐田なのだ。そして、千葉の影におびえていることは確かなこと。それは、おそらく、千葉にしても同じだろう。大分の影が厭で厭でたまらないだろう。

以前、私は、千葉は今後、大分が苦手になるだろうと言った。それだけ、精神的な戦いの部分で、千葉と大分の関係は逆転したのだ。
ただし、いずれにしても勝負は紙一重。再び、千葉と昇格をめぐり対戦することは十分覚悟しているし、そうなるような気もする。

まあ、ほざいているね。6位のくせに。


それにしてもシャムスカに逢いたかったなあ・・・・・・まあ、「ただの久米宏」になってしまったわけだが。あの頃は一番輝いていたねえ。いっしょに時を過ごせてよかったねえ。

帰国前に大分に寄ってくれたら、大歓迎するんだけどね・・・・!!
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by worsyu | 2014-09-26 12:50 | サッカー | Comments(0)

山口俊-覚醒

山口俊が完投した。実に初登板から8年目である。

山口は抑えのピッチャーとして横浜の守護神となっていた。しかし、近年、失敗することが多くなり、2軍で調整することも多くなった。

しかし、今年、途中から先発に起用されて、本来の才能が発揮され、伸び伸びとした投球術を見せてくれている。

我々、大分県人から見ると、山口は高校野球の大分県決勝でサヨナラ負けを喫した投手のイメージが強い。

昔、ここでも書いたが、山口=抑え投手には違和感があった。

大きな体だが、柔らかいフォームから繰り出される球は、145キロ以上。それが130球を越えても維持できる体力と技術を持っている。無理のないフォームだからできる芸当だ。江川とダブって見えた。

本来ならば、100勝どころか、球界を代表する先発投手となっているべき選手なのだ。
横浜の事情もあり、彼は抑え役に徹し、勝利に貢献してきた。

彼のストレートも、スライダーも、カーブもフォークも一級品だ。それを9回まで維持できることを証明した。

まだ、27歳である。大リーグ移籍も十分考えられる。

勝負の怖さも知り抜いた中で、慎重に、でも、大胆に緩急を付けた投球。昨日の阪神戦は素晴らしかった。9回に150キロを出し、3者凡退に仕留めた。

これを覚醒と呼ばずして何と言おうか。

大器晩成。山口俊。故障に気を付けて、無理をしないで、自己研さんに励んでほしい。
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by worsyu | 2014-09-04 11:07 | 地域ネタ | Comments(0)

野上弥生子-偉大なる巨人

「花子とアン」がいよいよ大戦争に突入してきた。

戦争という巨大な壁に遭遇した時、人間はどう判断し、どう行動したか、特に、日本の文化人-知識人たちがどう生き抜いたか。彼らの生き方が、結局、戦後の日本と今の日本を形成することになったと言える。

それでは、村岡花子はどうだったのか?
彼女はその他多くの女流文化人と同じく、戦争賛成派に属した。積極的に参加したわけではないが、ラジオを通じて戦意高揚を幼少期の児童に働きかけた行為は十分加担したといっていいだろう。

彼女が特別というわけではなく、「青鞜(せいとう)」の平塚たいてうも「昴(スバル)」の与謝野晶子も、この戦争を応援した。他にも大勢の文化人がこの大戦を讃える檄文を寄せた。
女性作家たちがこの大戦に与えた影響は小さくない。銃後の家族-とりわけ主婦たちによって形成された感情的な敵愾心や女性特有の残虐性が日本人に形成されたことを指摘する論者は少ない。
識者と呼ばれる多くの文化人たちは、女性は平和主義者であると決めつけ、戦争中に起きた女性の手による間接的な非人道的な考えや行為を不問にしているのは、残念なことである。

もちろん、彼ら、彼女らは、現代とは違い、社会的な身分は低い、ペンのみで生活していくことが難しかった時代である。そこで背中に剣を突きたてられては、飲むしかなかったともいえる。

ドラマの村岡花子がラジオ放送を辞めたいと言った時、「ごきげんようを待っている子どもたちがいる」といって引き止めたNHK。しかし、この言葉の裏にあるのは、騙すためには甘言が必要なのだということである。そのことは、当然村岡もわかっていたはずである。

文化人-文学界がこぞって戦争に加担していく中で、それとは距離を置く人も居た。

野上弥生子である。

戦争反対と声高に宣言すれば、牢屋に入れられる。共産党に属していれば、官憲により拷問を受け、殺される時代である。

野上弥生子は、臼杵の出身である。生い立ちを書くと長くなるので端折る。
あのフンドーキン醤油の長女として生まれた。15歳の時に上京。当時、女性で高等教育を受けるということは非常に珍しかった。
その後、同郷で英語を教わっていた野上豊一郎(英文学者)と結婚。豊一郎が漱石門下であった縁から、小説を漱石に見てもらい、そこで、作家としての心得を得ます。

「文学者として生きよ」

これが漱石から与えられた道だったのだ。

彼女は、1937年(昭和12年)の新聞の年頭所感に「どうか戦争だけはございませんように・・・」と書いた。当時、かなり問題発言になった。
しかし、彼女は戦争反対という意志を示したものの、それ以上の目立った行動はしなかった。それ以上やれば自分の地位や生命のみならず、家族や親せき、関係者にも災難が降り注ぐことを知っていたからだ。

彼女は戦禍が激しくなると軽井沢の山荘に籠り、執筆活動に専念する。こうしたことができるのも、夫豊一郎の存在がある。恵まれた環境の中で、しかも、あらゆる伝手を使って自分の信条を崩すことなく生き延びたしたたかさがある。
達人である。

宇野千代が「私が畏れ、仰ぎ見るのは、天皇と野上先生の二人だけ・・・」と言わしめた。(おそらく、この言葉を聞いたとしたら、「別に宇野千代ごときに畏れられても詮無きこと、と笑ったであろうか・・・)
それは、明治、大正、昭和を生きた知識人としての女性の生き方の範を示したからだろう。

野上弥生子本人の日記には、「一葉よりは或る意味、ずっとよい仕事をしたつもり・・・」と書かれているらしい。私は次の1000円札の候補として野上弥生子を挙げたい。(おそらく、「漱石先生と同じ場所に座る度胸は私にはありません」とでも言われそうだが・・・それならば一葉より上の5000円でどうでしょうか、と言いたい。それだけの価値がある。これからの我々が彼女を再評価することで可能となるだろう・・・)

大戦という巨大な壁をしなやかに乗り越えた巨人-野上弥生子。

1951年(昭和26年)初夏。法政大学女子高校(当時の校名は法政大学潤光女子中・高等学校)で生徒に訓示した中で、

「女性である前にまず人間であれ」

という言葉が有名です。今もなお輝きを放っています。
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by worsyu | 2014-09-03 11:45 | 時事ネタ | Comments(0)