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地方に居るということ

昨日、思ったこと。
夜、自転車で帰宅中のこと。昨日に限らず、夜、狭い道でいつも事故に遭いそうになる。男の子の集団だったり、音楽聴きながら無灯火で突っ込んでくる男子高校生とか、女子高生も同じだ。また、路地から出てくる車も危ない。自転車を全く無視して曲がってくる。信じられない。追いかけて文句を言いたくなる。ガラス窓を叩いて「てめえこのやろう」とやりたくなるのだが、はたと考えてしまう。
それは、もし相手が近所の人で、回りまわって自分とどこかで関係のある人だったとしたら・・・・
結局何もできないではないか。これが都会だったらこうはならないのだが。所詮、俺には田舎暮らしは無理なのか・・・

東国原知事の所信表明演説で、方言を効果的に使って好印象を演出していたが、それはずるい。というか、やりすぎると不信感につながるだろう(馬鹿でなければ気づくだろう。愛されようとすれば政治家は身動きが取れなくなる)。地方で今までやっていたことを改革するには、すごいエネルギーが必要になる。協力者は必要だし、どれだけ多くの人をその運動に巻き込めるかどうかが大切だ。最初はトップダウンで動かしても、途中から自力で行うようにしなければすぐに止まってしまうだろう。義の方が理よりも優先されるのが田舎社会だからだ。
大分はそのノウハウを知っている。概ね、進取の気質と合理性に富んでいるといえる。外からの人間に対しても結構開放的だし・・・、
しかし、それでも、都会の合理性と繊細さはない。だから、対外的にはその繊細さを出すが身内に対してはやはり甘い。追及されることが無くなれば組織は腐る。
義よりも理の大切さをみんなが認識すれば、地方でも住みやすい環境ができるはずだ。その比重のバランスの内どちらを重視するかで、田舎暮らしができる人とできない人とが判別できる。大分以外の方で、もし、大分に住みたいと思っている人がいるとしたら、この比重を考えて場所を選んで欲しい。
いっしょに大分トリニータを応援しましょうよ。
by worsyu | 2007-02-20 16:43 | 地域ネタ
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