かの西村氏が大海に「死ね」と叫んだそうだ。
大海はまた、例のごとく、低姿勢で西村氏にアピールしていたのだろう。この低姿勢が西村氏には、ひどく慇懃無礼に思えたのかもしれない。 西村氏は普段から「大分なんか死ねば良いのに」と笑いながら話していたのかもしれない。でなければ出てこない言葉だ。 「死ね」という言葉は、圧倒的な強者が弱者に対して使う言葉だ。ある意味、「ファックユー」よりもひどい言葉だ。冗談で使うならば、よほどの信頼関係がないと使えない。武田鉄也氏の母親ぐらいか? 西村氏が大分に対して好意を持っていてお互いに冗談を言い合える関係なんて、ありえない。だから、前者の関係で使われたものと思われる。 チベットで人権抑圧が叫ばれているが、それを力で押さえ込もうとする中国政府のやり方に世界中から非難が集まっている。 それでは、日本のサッカーJリーグの大分トリニータはどうだ。本質は何も変わらないじゃないのか?程度の差はあれ。同じ構図が見えてくる。 関東のサポは現実の生活を維持しようと現体制を支持する。我々の人権を認めようとしない。 「死ね」という言葉は、相手の人間を低く見ているから言える言葉だ。それは大海だけではない、大分トリニータであり、大分であり、日本の地方を低く見、サッカーそのものを侮蔑しているから発せられる言葉だ。 中国の北京に住んでいようが、どこに住んでいようが、人権の意味を解しない人など、世界の常識の中では田舎者ということになる。チベットの方が人間としてよっぽど都会だ。 (我々は普通のジャッジをして欲しいだけだ。勝ち負けで言っているわけではない。少なくとも私は昔から何回も言っている。) (大分が荒い?そんなことはない。闘っているだけだ。球に行っていればよほどのことが無い限り反則は取られないはず。悪質でない限り安易にカードを出してはいけない。闘うことは良いこと。これが世界の常識だ。) もし、協会側がうやむやにするのなら、彼らに人権に関するデリカシーが無いということ。サッカーを通じた人間教育、人間育成などを言う資格はない、ということだろう。 哂いたければ笑えばいい。 俺たちにとって大分トリニータは血なのだ。 PS.どこぞのチームはチェ・ゲバラの旗を使っているが、それがハッタリで無ければ同調してくるはずだ。単なるファッションならば俺たちを見殺しにするだろうが。 ま、それよりも何よりも。怖いのは、FCの選手が「俺は聴いていない。知らない」と寝返ることだろうか・・・
by worsyu
| 2008-05-01 00:18
| サッカー
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