一昨日、モントリオールで金メダルを獲った女子バレーチームを報道ステーションが特集コーナーで取り上げていた。
当時は「涙無き完全優勝」と呼ばれた。全試合1セットも失うことなく、優勝したのである。前代未聞、圧倒的な勝ちっぷりだった。優勝の瞬間、みんな笑顔でコートの上ではしゃいでいた。 想定通りのソ連のメンバーを見て、「勝てる」とみんな思い、笑顔とVサインを出し合ったそうだ。 山田監督は、「勝ちたいじゃだめなんだ、勝つんだ」といっていたと言う。「知将」と呼ばれた山田監督は、相手チームのデータ分析を徹底的にして、この日のために全て用意していたのだ。 その後、このチームは東京で行われたワールドカップでも優勝し、74年に世界選手権を優勝したのを含めての3冠王者となった。 山田監督は、まさに世界の頂点を極めた瞬間から、次のステップを考えていたようで、選抜した上での英才教育の必要性とプロ化も見据えていたようだ。その中から史上最強のセッター中田久美が生まれたわけだが、残念ながら彼女は練習中に大怪我に見舞われる。復活を遂げ、ロスオリンピックでは銅メダルを獲得したが、その後の日本女子バレーは低迷が続く。最近ではTVメディアに媚びてアイドル化路線になっている始末・・・ 白井、松田、江上、三屋、中田・・・その他多くのバレー関係者は未だに山田監督を偲んでいる。世界の頂点に立たせてもらえたという経験は、何事にも代えがたい尊い経験であり、彼女らの現在を成り立たせている誇りそのものでもあるのだろう。 山田監督の偉業はもっと賞されてしかるべきものなのだが、残念ながら、セクハラ事件でバレー界はおろか、社会的にも抹殺されてしまった。この事件の詳細は知らないが、組織が目標に向かって極限状況にあった中では、倫理を越えた強い関係になることもありうるのかも知れない。許されざる行為だが、精神性の追及の中で起きた出来事なのだろうか。 女子バレー界の権力抗争の中で報道機関にリークさせたという説もある。この事件が公に出たおかげで、山田派と呼ばれる日立系の選手、関係者は表舞台から消えていった。 昨年5月、山田重雄監督がアメリカのバレーボール殿堂に入ったことを記念して集まったパーティーで、あの白井が 「バレーをして山田監督に出会えたのではなく、山田監督に出会うために、バレーをしたのかもしれない」と語ったとたん、うるうる・・・と、大粒の涙がこぼれ落ちたそうだ。思わず先輩たちから「白井がんばれ!」と声が飛んだそうだ。 1998年2月5日。66歳で死去。
by worsyu
| 2008-05-14 12:31
| ひまネタ
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