筑紫哲也氏が亡くなった。日本のジャーナリズムの巨星が墜ちた、といったところだ。
近年のナショナリズムの高揚は、筑紫氏みたいなコスモポリタン的自由文化人に対する風当たりは厳しかったようだ。左からも右からも。(特に右からは標的にされた観もある)かつては、彼こそがポピュリズムそのものの権化だったはずが、いつしか、時代に抗する権化と化していったのは、ある意味皮肉である。しかしながら、時代とともに歩まず、日和らなかったことに、彼の普遍的な魅力があるのであり、ジャーナリズムの根幹である、権力に依らず、むしろ抗して自由を叫ぶ勇気を持っていたともいえる。 日本ではリベラルというか、マイノリティーの文化を固持することは、非常に難しい。 彼は最後に、そういった少数意見を大切にする国になって欲しいと語っている。 私自身も彼の言葉の中で、気に入っている言葉がある。それは「弱者のエゴ」という言葉だ。 この言葉で、私は、彼を再評価した。 弱者に優しい社会は、すばらしい。でも、それに甘んじて、さらに、それを利用して意見を通そうとする人たちの行動はエゴである、と論破したのだ。 弱者とは社会的に疎外されている人々のみではない。老人、子供、女性。さらに、あらゆる意味の格差のもとで地位が低くなった人々。こうした人々をやみくもに救おうとすることはいけない、と言う。彼が社会主義が大嫌いだという意味がここにある。 民主主義とは何か?自由とはどういうことなのか? お隣の中国にはなくて日本にはあるもの。それがジャーナリズムなのだ。 しかし、肺がんは、やはり怖いねえ。
by worsyu
| 2008-11-08 14:56
| 時事ネタ
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