2018年 05月 23日 ( 1 )

危険なタックルに思う

日大アメフト部の関西学院大との定期戦で起きた殺人タックル事件について思うことがある。
まず、映像が残っていることで、状況がよくわかる。言い逃れができない。故意で悪質なプレイだと言うことが分かる。
もし、映像がなかったらうやむやになっているだろう。今後、アマチュアスポーツや子どものスポーツでも映像で確認することは必要になってくると思われる。

格闘技系スポーツでは、反則も含めて、ルールを尊重しているのであれば、許されるということがある。
サッカーやラグビー、柔道や空手、バスケットボールやアイスホッケーなど、身体がぶつかり合うスポーツでは、殺し合いを制限するためにルールが厳しく設定されている。
とはいえ、曖昧な部分もあり、最終的には選手個人の判断にゆだねられる。

アメフトに良く似たスポーツにラグビーがある。
ラグビーは、イギリスの上流階級の出来そこないの子息を抑えこむために生まれたスポーツという一面がある。彼らにはエスタブリッシュメントとして、社会で活躍するために、闘争心や戦略、緻密な駆引きなどが培われるスポーツとして愛された。

ラグビーでは、得点よりも、どういう戦い方をしたか、勇気と正義を湛えるスポーツとも言われる。観客は、勝敗もさることながら、いかに戦ったかを見て評価するという面がある。
イギリスでは、ラグビーは、威信をかけて戦うスポーツだ。
ウェールズ、スコットランド、アイルランド、イングランドもかつては敵であった。それは、誇りを掛けて戦うことに意義があるのだ。

ラフプレイが無いわけではない。プロ化したことで、アピールプレイも多くなった。
かつて、日本ラグビーがイギリスに遠征した時、負けはしたものの、その戦い方は観衆の心を打ち、試合後、多くの人々は日本チームに対してエールを送った。

サッカーには、そこまでの精神性は無い。また、それを求める人は少ないだろう。勝つことで評価される。結果が全て。

アメフトにおいては、特に日大は、体質が古く、前監督においても、トップダウンであった。まさに軍隊。しかも旧日本軍を彷彿させるような精神性を持たされていた。
個人のやりたいことを犠牲にして組織の勝利のためにプレイすることが本当にスポーツのあるべき姿なのか?
そもそも、スポーツとは、楽しむためのもの。自分や自分たちよりも強い者に対しては敬意を表すべきであり、敵意を持つものではない。
スポーツマンシップとは、そういうものでないのか?

おそらく、団体スポーツで強いチームが組織として、本当に素晴らしいかどうかは、疑問に思っている人が多いだろう。
しかし、現実には、結果を出した指導者は賛美され、組織論の権威として持ちあげられる。
本当に優れて強い組織となるためには、そういった軍隊式の精神性よりも、個人の自由が尊重され、向上心があふれるものであるべきだろう。

そろそろ、スポーツジャーナリズムにおいても、まともな意見が言える人が出てきてほしいし、それが、社会を少しずつ変えることにもつながると思う。

日大を潰しても意味が無い。その裏にあるスポーツの姿と日本人の精神性に気付かなければ、また、同じようなことが起きるだろう。
格闘技系スポーツでは、安全性が確保できていることで初めて楽しめるエンターティンメントであり、それが無ければ成り立たない。

日大アメフト部までは無いにしても、教育現場で、たとえ、それが好意であったにせよ、押しつけられていることが多いはずだ。
教育は押しつけてはいけない。理解させ、自発的な行為にしなければ、それはハラスメントなのだ。

ルールとは、もちろん、上から決められ、押しつけられたものではあるが、自分たちもそれを尊重し、大切な決めごとであるという認識が必要だ。

組織の論理に流されて個人の判断を無視してしまったことは、選手の未熟さももちろんあると思う。
全く責任は無いとは言えない。半分大人だからだ。

指導者が、それを促すようなことをしていたという時点で、彼らは教育者としては失格だろう。

今回もトカゲのしっぽ切りで終わるのだろう。

しかし、このブログを見ている人に言いたい。

日本人のスポーツに対する見方を変える必要がある。

スポーツに対する勝利第一主義がもたらす非人間的行為の横行と品位の欠如は、日本人の悪しき性向である、ということ。これを認め、改めることが必要です。



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by worsyu | 2018-05-23 11:51 | ひまネタ | Comments(0)