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遷都 大分へ どう?

日本も事ここに到って、起死回生の一手が必要になってきた。
多くの方はご存じないか、知ろうとしないかだろうが、日本政府の財政状況は破綻寸前である。
日本経済が崩壊する前の乱痴気騒ぎで浮かれていられるのも後、何年だろうか?10年持つだろうか・・・
その時の為に、私は、今のうちに提言しておきたい。
遷都だ。
大分に遷都すればいい。

まあ、東京や大阪以外ならどこでもいいんだが、穢れていない地という意味で大分は良い地であると思うよ。
最初に言っておくが、これは私の妄想ではあるが、理にかなっている論であることを認識して欲しい。
主たる目的は、巨大化して機能不全に陥っている中央官公庁の一掃と縮小、そして機能改善にある。日本が破産すれば一番に要らなくなるのは、役人どもである。一度、解雇して、規模を大幅に縮小して再雇用する必要があるからだ。そのためには新しい地が必要なのだ。これまでも、日本の大変革の時は遷都をすることで、官僚機能の回復と経済の再生を図ってきた。そして、とうとう、その時が来たのだ。東京は江戸から平成までの400年余り、世界一の都市として発展してきた。しかし、事ここに到って、その幕を下す時が来たのだ。
東京は遷都以後も日本最大の都市として存続していく。しかし、政治機能は移すということで、日本の舵取りの使命は持たないことになる。日本再生のためには、どうしても必要なことなのだ。

まず、場所であるが、これは、宇佐平野でいいだろう。ここに、半径1kmの巨大な球状の施設(コア)を作る。ここに全ての政治機能を集める。地上に出ているのは、全体の3分の1程度、地下部分にその3分の2が埋もれている。周りを液状のもので覆い、浮かせることで耐震性を持たせ、ここを新霞ヶ関エリアとする。
国会議事堂はどうするか、最高裁判所はどうするか、天皇はどうするのか、という問題は、後回しでいいだろう。

障害となる問題は一つずつ消していけばよい。
大分は何よりも、関西、関東、九州、四国を束ねる位置にあり、言語的にも東京に近いアクセントでもある。今までの無駄を一気に解消させるには行政改革しかない。その一番の特効薬が遷都なのだ、ということを言いたい。
国民の税金を集め、配分する。その権力を一手に受けて肥大化し、後戻りできなくなった。官民の癒着も激しく、公正なビジネスを阻害し、既得権に群がる者を排除できなくなってしまった。

大分に移れば、半分は東京に居続けるだろう。コアを設けることで、肥大化を防ぐことが出来る。これはその象徴なのだ。

 

 

 

 

 


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by worsyu | 2014-04-03 12:48 | ひまネタ | Comments(0)

愛すべき自己

去年の年末は安倍首相の靖国神社参拝で、国内外で賑った。
この靖国神社の問題はいろんな問題を孕んでおり、いかようにも問題提起できるし、解釈もできる。

私は、つまるところの話をしたい。
結局、先の大戦の最大の責任者は、日本では昭和天皇であったということは紛れも無い歴史的事実なのだということなのだ。
これは、現在、70歳以上の人たちは皆思っていることだろうし、認めざるを得ないことなのだ。

実質、開戦時、昭和天皇は傀儡状態であり、お飾りでしかなかった。政治的権力は軍部が握っており、天皇は権威のようなものでしかなかった。(今のタイ国の状況を見れば理解できるだろう。タイも日本と同じように、王族は象徴としてのみの存在にならないと、政権は安定しないだろう・・・)従って、戦争責任としては、実質上は無いに等しいものだっただろう。しかし、憲法上では最高責任者-統治者として明記されている。今の北朝鮮を見れば理解できるだろう。

戦後、アメリカは日本を統治するために天皇制を維持することにした。それは、今後、永遠にアメリカが日本を支配下に置くことを日本側に認めさせる人質-保証のようなものだった。天皇の権威を保証する代わりに、政治的権力と結びつかないように、平和憲法を作るように仕向けた。その際、靖国神社の問題も出たが、国の保護を受けないということと、憲法で十分と思ったので、問題にしなかった。

さて、戦争犯罪人とされた人たちは、天皇の名のもとに戦い、死んでいった多くの兵隊たちと同じと思えないことも無い。死んでしまえば罪は消える。贖罪はなされたと思い込みたい。それは、遺族たちの思いであっただろう。罪(濡れ衣を着せられて)を背負って処刑場の露と消えていった人たち。それを哀れむのは人の情として理解できないわけではない。本当の罪人は天皇であるからだ。
しかし、彼らは天皇に罪が及ばないことを知り、喜んで死に臨んだ。自分たちの死が天皇の身をお救いしたという満足感さえあっただろう。
「天皇陛下万歳」という叫び声を上げて死んでいった多くの兵隊と同じ気持ちだったのかも知れない。
その頃の人たちは天皇のためなら命は惜しくないと思っていたのだ。信じられないだろうが。

年を経て、遺族たち、又、ナショナリズムに溺れたい人たちの中では、故人の想いとは別に、悪いことをしたわけではない、という想いが強くなっていく。名誉回復を望む気持ちが起きてくる。更に、国を想う気持ちは尊いという気持ち。更に、歴史の再評価、再検証を望む声が大きくなってくる。(もちろん、彼らの中で、天皇の為に死ねる人など一人も居ない。これは確かなことだ。)

戦後、ナショナリズムを謳うことは、どこか罪深いことと思われていた。だから、無国籍的な文化が氾濫していたのだ。しかし、この空気を一変するある出来事が起きた。
それは、サッカーW杯である。

君が代を堂々と歌い、日本という名前を叫び、勝てば喜び、負ければ悲しむ。これはまさしく戦争の擬似体験に近いものすらある。こんな楽しいナショナリズムを忘れることなどできない。もっと楽しむために、もっとナショナリスティックになっていいし、気に入らない外国をもっとけなしてもいいんだ。煽ってもいい。これまで押さえ込まれていた感情が一気に爆発した。

さて、ここまで書いてきて、突然結論を言う。未来を見るならば、未来をデザインするならば、偏狭なナショナリズムに漬かっていてはいけないということだ。
一番大切なことは、自分が何をやりたいか、であり、何を望むかであり、そのために何をなすべきか、なのだ。自分を大切に。家族も大事、子どもも大事。でも、自分自身が一番大事。そのために、愛すべき自分になるために、勉強し、働き、善行するのだ。
私は言いたい。自己愛こそが、隣人愛にも勝る。
それが原点だろう。

ラブトリニータは自己愛の延長になければならないものだ。そのために、われわれは努力してもいいんじゃないかな。

因みに、私は、近年、春日神社に初詣に行くことにしている。
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by worsyu | 2014-01-24 12:59 | ひまネタ | Comments(0)

東龍の路線は間違っていない

東九州龍谷の優勝を逃した試合は残念だった。紙一重の差で負けてしまった。
長崎の九州文化学園の田中を止められなかったことに尽きるわけだが、その策は無かったのだろうか?・・・
ブロック要員として、吉丸(181)や竹内(183)を使うことは考えられなかっただろうか?という疑問がある。
情に流されたのだろうか?
仮に入れていたとしても、止められたかどうかはわからない。しかし、ワンポイントでもやる価値はあったと思う。
ただ、敢えてそれをやらなかったのだろう。それは、ここで勝つよりも大切なことなのだろう。今後を見据えた選択だったのかもしれない。

東龍の技と九州文化の力の対決だったわけで、力が勝ったということか。彼女らの腕力はすごい。筋力トレーニングをやっているのだろう。体つきが大人である。
しかし、女性にとって、この年代で過剰な筋肉トレーニングをすることに、私はあまり賛成できない。
アナウンサーは田中に対して「東京オリンピックのエース」と叫んでいたが、果たしてそうだろうか?
今や世界は185センチ以上のアタッカーでないと通用しない。ロシアやブラジルなどは190センチ以上がゴロゴロいる。そんな中で日本は木村沙織が185センチである。新人で期待される大竹にしても183センチ。岩坂は187センチあるが、伸び悩んでいる。
そこに170センチの田中が入ってくるはずがない。仮に入ってきてもエースにはなれないだろう。
高校バレーに特化して強化してきた結果、彼女らは優勝を勝ち得たわけだが、その先が無い。
もちろん、東龍の選手にしても、全日本に入ってくるような選手は2、3年に1人居るか居ないかだろうが。
過度な筋力トレーニングを高校生に課すのは、成長期の骨の発育を阻害することも考えられ、増強剤を使用しようとする輩さえ生みかねない。

ところで、東龍はいつの頃からか、美人が多くなってきた。キャラ立ちし始めた。比金や熊本がそうだ。確かにかわいい。多くのファンが付いた。今やレッドドラゴンはブランドでもある。追っ掛けも出てくる。幸い、来年以降は今のところさほどかわいい子も居ないようなので、昔の強くて、憎たらしい、東龍に戻ってくるのではないか?と期待している。

それにしても、赤いユニフォームで長袖をたくし上げる姿は何ともクラシカルでいいねえ。

人気、実力を備えた東龍を維持するのは並大抵のことでは無いだろう。しかしながら、現体制の路線は間違っていないことを今回の大会で披露できたと思う。敢えて言うならば、やはり、力強さに欠けていたかもしれない。主砲の不在をカバーできなかったということかも知れない・・・・
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by worsyu | 2014-01-14 11:14 | ひまネタ | Comments(0)

管理サッカーを目指せ

今年、スポーツ界での訃報で一番大きな出来事が川上哲治氏だろう。
ジャイアンツの黄金期を築いた名監督である。もちろん、現役時代も安打製造機として2千本安打を達成している名選手ではある。しかし、なによりも、読売ジャイアンツを連続9回日本一に導いたその手腕が長く讃えられるし、組織論として日本の企業社会に与えた影響は大きい。
当初は、戦力もそれほど飛びぬけたものではなく、特に20勝投手がいない中で、細かな野球をする、いわゆる管理野球を徹底させることでトップを維持したのだ。
長嶋なんてのは、サインは見落とすし、チームの決め事を守らず、スタンドプレイをする、天才肌の選手。一方の王はきちんとまじめに従う努力型の選手。こうしたスター選手をうまく管理して従わせ、組織としての強さを維持したことは驚嘆に値する。
大体が、スポーツ選手などというのは、腕自慢で自分の才覚だけで金を稼いでいるという輩ばかりである。それでも組織として勝利することとは必ずしも合致するわけではない。
長嶋が何度もサインを見落とすのを見かねて、牧野と相談して長嶋用の簡単なサインを作ったというのは有名な話だ。

広岡は長嶋を擁護する川上や読売側に何度も抗議したようだが、広岡が西武の監督になった際にやったこととは、川上の管理野球をさらにすすめ、徹底的に私生活までも管理した野球を目指した。その流れは、現在の野球界にも及んでいる。食事管理から、筋力トレーニング、イメージトレーニング等々だ。

日本人の作り上げた組織で、9年間もトップを維持できた要因とは何なのか?常勝軍団と呼ばれた組織に必要なものとは何なのか?

大分トリニータを勝つチーム、J1に居続けられるチームにするには何が必要なのか?川上の管理手法が参考になる。
組織を変えるには言葉だけではだめだ。結果を出し続けながら、中長期を見据えながら変化していかなければならない。

田坂監督もわかっているはずだ。他と同じことをやっていても勝てないということを。
日本人のためのサッカーを追及していくことが長期的に強さを維持できることになる。
遊びたい奴は来なくて良い。真面目にサッカーを追及したい奴だけ来れば良い。とことんサッカーを考えるやつだけでいい。
相手の隙を狙い、誘い、突き、そして仕留める。
守備を強固にする。裏を取られても追いつける走力を持ったDFをそろえる。
最初は多少勝てなくても負けないチームを育てる。
反則をしないチーム。審判に抗議しないチーム。
磐田戦、大分はイエローカードを出していないんだよ。すばらしい。変化しているんだよ。川崎戦でもイエローは無かったよ。甲府戦以来、イエローを出していない。これは戦う気をなくしたからではないと信じたい。

イエローを出さずに戦い、勝つ。これが大切なことだ。我々は正しく戦っているということを言いたい。
50メートルを5秒台で走れる奴が2人くらい欲しい。できたら3人~4人。せめて後藤以外にもう一人ルーキーで欲しいね。
田坂監督の走り勝つサッカーを実現するには、何度も裏を狙い、抜ける走力を持った選手をそろえるのが一番手っ取り早い。DFも同じく走り負けない走力を持った選手を揃える。そうすれば、どこにも無いチームが出来上がるよ。

後藤16点。松本15点。為田14点。森島+高松で15点。それ以外で15点。総得点75点を目指せ。
失点はGK丹野で40点を目指せ!!(丹野に続くGKの育成を!!)


ところで、J1昇格戦では、徳島が京都を2-0で破って見事四国初のJ1昇格を果たした。小林さん見事ですね。京都は、なぜか三平を先発から外すという愚挙に出て墓穴を掘った。
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by worsyu | 2013-12-09 12:23 | ひまネタ | Comments(0)

浅田真央とラフマニノフ

フィギアスケートNHK杯の浅田真央の演技を見た。
一皮向けた浅田がそこにいた。

今シーズンはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を使っている。これがまず正解。
ラフマニノフの数ある曲の中から選び出した名曲中の名曲だ。これは伝説になる演技になるだろう。
振り付けも抑えていていい。どこか風格を感じさせる。無理して技を仕掛けている感じではない。

静かな曲調で流れていく。大河の流れを連想させる重厚な調べと叙情的な調べのアクセントが浅田の洗練された演技とよく合っている。

ロシアをこれほどまでに見事に表現していることに感服した。おそらく、ロシア人も、浅田を受け入れるだろうし、それを支持する日本人も好きになるだろう。
本来、日本人はロシアが好きなんだなあ。というか、シンクロできる。
今までウヨクが冷戦の影響なのか、アメリカの犬感覚で騒いでいたが、なんだかんだ言っても、やっぱり、ロシアは好きなんだ。

ロシアはヨーロッパの端っこで、ヨーロッパ文化に憧れながら、アジア的なものも引きずっている。(日本と文化的に共通する部分が多い)
ラフマニノフの曲には、特に、そうしたアジア的な叙情的色彩が強い。メロディアスな旋律は、映画、ポップス、CMに多く使われている。

ラフマニノフのこの曲を手に入れた浅田は、ソチで金メダルが取れるかもしれない。キムヨナ次第だろうが、今のところ、キムヨナを上回っている。
女王の貫禄がついてきた。
というか、キムヨナだとか、金だとか関係ない。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で演技する浅田は素晴らしい。そして、ロシアの地で多くのロシア人に感動を与えて欲しい。おそらく、感謝されるだろう。日本人ありがとう、と。正しくロシア文化を理解し、表現し、感動を与えてくれたことに。

このプログラムを作った人はすごい。

ひ弱なひな鳥のような浅田真央はもう居なかった。力強く羽ばたき、大空に舞う鳳凰がそこにいた。何よりも品がある。そして、余裕を感じる。今回、彼女は時折変顔を見せる、そこにもどこか風情がある。
このプログラムは伝説になるだろう。
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by worsyu | 2013-11-15 13:00 | ひまネタ | Comments(0)

乙津くんのけれんみのなさに驚く

全国高校野球選手権がいよいよ甲子園で始まる。
大分商業の対戦相手は東東京代表の修徳高校である。
もっと弱いところと対戦して欲しかったが、今更仕方が無い。

ところで、先日の抽選会の後のインタビューを受ける両主将の話を聞きながら思ったことは、どっちが都会の高校でどっちが田舎の高校かわからない、ということだった。
何といっても大分商業の乙津くんのしゃべりがあまりにもスラスラと訛りも無く、しかも、緊張も感じられず、落ち着いた対応とけれんみのない誠実な答え方をしていたのが見事だったからだろう。
対する飯野君の方が緊張していたように見えたし、ちょっと千葉っぽ(訛り)かったか?多分気のせいだけど。

葛飾というと、荒川の向こうは千葉か埼玉感覚でいけばその間ということになる。まあ、映画の寅さんの柴又(東京の田舎という架空の設定)ほどの田舎ではないし、浅草またいで電車に乗れば秋葉原に遊びに行けるし、十分都会といえば都会なのだが。

まあ、言って見れば下町の外側の人たちの住む町ではあるね。ベッドタウンとしては、開けた松戸にするか、物好きな人は古い人情が残っている葛飾にするかってところだろうね。東京理科大があるのが自慢かな。

すごいのは指原だけとは言わせたくないねって、これ言ったのはマリサポだったね。
でも、大商野球部の存在を示して欲しいね。

健闘を期待している。

勝利インタビューで乙津くんのけれんみの無い話を聞いてみたいなあ・・・・癒される。
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by worsyu | 2013-08-07 17:02 | ひまネタ | Comments(2)

宮崎駿の美学

まるで小津の映画を見ているような感覚だった。
または、黒澤明の「夢」に通じるものも感じた。あそこまで自己顕示欲は強くないわけだが。
昔の日本の風景がそこにあった。実写やCGでは表せない時代の空気をそこに感じた。
宮崎の遺書を受け取ったような気分だった。

この映画が作り出されたのは東日本大震災が起きる前からだ。時間が過ぎ、社会の風のにおいが少しずつ変わっていくに連れてこの映画の意味も見方も変わってくる。この先、10年、20年して、再びこの映画を見て、日本人は何を思うだろうか?
50年、100年経っても、見続けられる映画というのは幸せである。
アニメの芸術としての可能性をここまで引き上げた宮崎氏は、日本を代表する芸術家であり、巨人であることは間違いないだろう。
アニメが子どものものであったディズニーから始まり、日本では手塚がその中に文学性を持ち込んだ。既に日本では漫画が大衆文化として親しまれており、そこにアニメが入り込めば当然、大人の観賞にも耐えうるものが生まれてくるのは必定だっただろう。

さて、宮崎氏が取り上げた時代は、大正デモクラシー、関東大震災、世界恐慌、そして、世界大戦。大きな黒い渦に吸い込まれるように日本が転げ落ちていった期間である。

現在の日本と比べるとなんとも言えない時代の空気に押しつぶされそうになる。息苦しくなる。転げ落ちていく恐怖感を漠然と抱く。
しかし、当時と現在との決定的な違いは、みんな豊かな生活を維持できているということだ。そして、教育水準も高い。娯楽もいっぱいある。世の中不況だというが、別に生きていければいい。今、欲しいものは、特に無い。当時の日本は貧しかった・・・・・

関東大震災が起きた時に、殺された人々がたくさんいた。なぜ、そんなことが起きたのか?パニックになって、疑心暗鬼になり、一時的に無政府状態になり、一部の血の気の多い人たちが起こしたのか?今の時代では考えられないし、想像力を巡らしてもそこに自分の身を置く事ができない。

「風立ちぬ」で登場する主人公の男女の家柄は地主と伯爵である。それぞれ、東大出のエリートエンジニアと伯爵令嬢という設定である。
物語の縦糸は堀辰雄の同名小説に近い。私小説風な語り口で描かれた世界は、物悲しく、どこか浮世離れした物語である。設定からして日本の上流階級たちの悲恋物語である。
当時、結核と云えば死の病である。田舎なら、離れの部屋に閉じ込められ、近親者であろうと子どもらは近づくことも出来ず、周りからは厄介者のように扱われ、栄養失調で死んでいったのがほとんどだろう。
この物語のようにトーマス・マンの「魔の山」のようなスイスのローザンヌみたいな高級リゾート地が日本の軽井沢にも小規模ではあれあったことは確かだろう。

同じく縦糸としてらせんのように流れていくのがゼロ戦の設計士-堀越二郎の開発物語である。実際の堀越氏にこのような恋のロマンがあるわけもなく、ここはフィクションであろう。
ゼロ戦の開発物語は年配の方、もしくは多少でも興味があった男の人ならご存知のエピソードばかり。それでも、ユンカースやカプローニが出てくるあたりが宮崎さんらしい。

彼ら、エンジニアにとって性能と同時に美を競い合う姿が素敵だと思う。そこには、宗教や思想、信条、政治的な思惑は何も無い。ライバルであると同時に同志でもある。
芸術の分野は、これとは少し違う。主観が入るから評価が分かれる。今回の「風立ちぬ」も評価が分かれるところだろう。

私は、宮崎駿の遺言のように思え、受け取った。

ちなみに、菜穂子の嫁入りの場面あたりで不覚にも止まらなくなってしまった。これはずるい。
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by worsyu | 2013-07-22 15:46 | ひまネタ | Comments(0)

宇宙戦艦ヤマト愁1

「宇宙戦艦ヤマト2199」なるものがTBS系列で放映されている。

先日、北九州市に行ってきた。小倉駅横に「あるあるCity]なるものがある。アニメ館みたいなものだ。オタクのみならず、漫画好きな人が集まる。コミックも安いのでびっくりした。

小倉駅の南口には松本零士氏の「キャプテンハーロック」のブロンズ像が建っている。

昔の「宇宙戦艦ヤマト」を見てみた。これを見ずして今日のアニメ文化は語れない。まさにエポックメイキング的な作品だ。

まず、音楽が素晴らしい。今は無き宮川泰氏の情感あふれるメロディアスな旋律が劇中に流れる。オーケストラで。
荘厳さをアニメにもたらした。それは、子どものものではないエンタティンメントであることを高らかに宣言したのだ。
ちなみに、宮川氏はポップス畑で活躍した人である。一旦書き起こした楽譜はすぐに捨ててしまうという性格の人で、ブームとなりCD化させる際には、聞いて起こしたというエピソードがあるらしい。

監督は松本零士。今は知らない人も少ないと思うが、当時は誰も知らない人だっただろう。講談社の少年誌で「男おいどん」という九州弁丸出しの田舎青年の東京暮らしというペーソスギャグでようやく日の目を浴びだした頃。彼の初期作品であるSF物には誰も評価をしなかった。
そういう意味では西崎は松本にとっては大恩人であろう。しかしながら、後に著作権を巡る法廷闘争になったことは、この作品がいかに混沌の中から生み出されたものであったかと言うことを意味する。

西崎という切羽詰ったプロデューサーが居て、その取り巻き連中に豊田氏のようなSF作家や脚本家の藤川が居て、大まかな構想ができあがった。
しかし、アニメの作品として作り上げるにはキャラクターのデザインや個性などの魅力あるビジュアルが必要になる。
そこに松本零士を見つけ当てはめることでこの作品が魅力あるものとなったのだ。

ただ、著作権ということになると、裁判で判決が出ている。西崎のものということでいいのではないか?しかしながら、オリジナリティに対する価値観が重要視されている現在においては、松本氏の存在はコアの部分になる。
もちろん、この作品は歴史的なもので、誰が欠けてもできなかったものだろう。まさに奇跡的な作品といって良い。
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by worsyu | 2013-05-15 17:51 | ひまネタ | Comments(0)

豊という美

「雅」というものがある。そして「粋」というものがある。前者は京都で栄えた公家や宮廷の文化が素地となり育まれた華麗で豪華な上品さを伴う上流階級の美意識。
後者は江戸の町民文化から生まれた勢いのある庶民性を持った反体制的な気風をももった美意識か。
日本における美とは、この2つがメインで語られる。

美しくありたいと思う日本人の感覚的志向はある意味特殊性を持つ。およそ海外からは理解されないだろう。
しかし、戦後の復興から日本商品を世界へ供給し続けた結果、世界標準を意識しないわけにはいかなくなった。美意識も引きづられることになったと言える。

私は、これに「豊」(ゆたか)(とよ)(ほう)という概念を新たに考え出して欲しいと思っている。というか、勝手に自分の中で思っているだけなのだが。
「豊」とは、ご存知の通り昔の大分~北九州地域の呼び名である。豊前、豊後。それ以前では豊のくに。豊州、二豊とも言う。
字はたかつきに収穫した穀物の穂を載せた形を表し、供え物の意味からきている。
その美を求める主体となるのは、成熟した市民層ということになろうか。
そこで必要となるのが温泉と海、山、スポーツだろう。
一つの文字から広がるイメージを勝手に広げているだけなんだが・・・
そうした環境から考え出されるデザイン、美意識というものを大切にしたい。
「雅」、「粋」では満たされない心の隙間を埋めて完成形へと繋げる世界基準の美をこの「豊」に求めたい。
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by worsyu | 2013-03-02 10:47 | ひまネタ | Comments(0)

馬肉は食べない

熊本に行ってきた。福岡はよく行くのだが、熊本は年に2、3回くらいか。ドライブするのが目的である。ついでに何か気に入ったものがあれば買い物をするくらいか。
熊本は大分よりも都会である。人口が多い。福岡との交通帯(アクセス)も発達している。動脈として繋がっているのだ。何といっても新幹線が通っている?
以前にも書いたが、衣料にしても品ぞろいが良いのだ。

昼食をとるためファミリーレストランに入った。騒がしい。なぜ、こんなにもぺちゃくちゃ大声で騒ぐのか?なぜ、子どもがきゃっきゃっ言っているのか?
海外でもチャイナタウンなんかに行くと、飲茶で中国人なんかが騒ぎまくってるのを見るが・・・文化が違うからね。

まず、着ている服に驚く。おじちゃん、おばちゃんたちは、どこで買うのかすごく地味な服を着ている。かと思うと、子どもたちは原色が入った派手な服を着ている。かと思うと、たまに、すごく決めている若い女性を見る。
顔立ちはきれい。やはり、福岡と鹿児島の中間。その先にある朝鮮民族の肌の白さと薩摩隼人の彫りの深さがうまく混ざっていて、九州の顔を表しているなあ、と感じる。まあ熊襲(くまそ)というと、これは蔑称になるのだが、古代より鹿児島とのつながりは深い。(今はそれほどでもないが、特に関西から見て、東北、九州は野蛮な国という意味で、蝦夷、熊襲と呼ばれていた。大和の時代だ。その名残は未だにかすかにある気がする。)
ついでに言うと、北九州に行くと、顔が変わる。これは、本州から流れてきた人たちのせいだろうか?大分でもないし、福岡でもない。言っちゃあ悪いが崩れているのだ。所謂、九州人の端整さがなくなるのだ。しかも、こちらは若者に若さが無い。というか、モノトーンが好きみたい。総じて地味だなあ。

福岡は言って見ればドイツ(東西に分かれていたという点も異質な2つがあると言う意味でも)のようなもの。熊本はフランス(農業国でカトリックという保守的な風土という点でも)。大分は・・・と考える。私はスイスになればいいと思っている。
簡単にはなれないし、その道は限りなく遠いけど。考え方としてスイスを目指すのが一番みんなの幸せに繋がると思う。
何をすればいいか?それは人それぞれ。感じ方も考え方もそれぞれだろうが・・・
まず、観光客、留学生、外人に対しては親切に、歓迎。そして感謝。だろう。
新しいことに対して貪欲に取り入れる勇気を常に持つ。開かれた空気を持つ。そして、より上質なものを求める気概を持て。

それから、個人的な思いだが、私は馬肉を食べることは好きではない。というか食べない。蛮人のやること。そう思われるのが嫌いだ。食べる必要がない。おいしいものでもないし。
同様の理由でくじらの肉も食べない。食べる必要がない。もちろん、おいしいものでもない。
同様の理由で犬も食べない。
百歩譲ってそれらがおいしかったにせよ、そこまでして食べたいとは思わない。君子は疑われることに近寄るなと言う。人間性を疑われることを敢えてする必要はない。しかも金を出して。成金の悪趣味に近いものがある。せいぜい、東京や大阪から来る考え無しの都会人たちが食べればいいこと・・・旅の記念にね。

わたしはごめんだ。
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by worsyu | 2013-02-25 10:58 | ひまネタ | Comments(0)